1. 各支部からのお知らせ
 

各支部からのお知らせ


中部支部
2020/01/17

以下の要領で、中部支部2月例会を開催します。

 

日時:2月15日(土)午後3時00分

  *役員会を午後12時半より開催します

場所:南山大学Q棟5階Q501教室 

〒466-0824 愛知県名古屋市昭和区山里町18 

Tel: 052-832-3111 (代表) 

 

<研究発表>

 

(1) 林 日佳理 氏(岐阜大学) 司会 本田安都子氏

「増幅する中毒者的シンセリティ—Infinite Jest の文体的特徴とポスト・ポストモダニズム」

(2) 川本 徹 氏(名古屋市立大学)司会 杉野健太郎氏

「The Sisters Brothers の映画版をめぐって—ジャンル論的考察」

 

*2020年度全国大会 研究発表募集

 

2020年10月3日(土)、4日(日)にかけて金沢大学で開催されます日本アメリカ文学会第59回全国大会での研究発表を募集しています。申し込み方法、締め切り期日等詳細につきましては、支部ウェブサイト (https://sites.google.com/view/amlitchubu/home)の「入会案内等」にてご確認ください。


東京支部
2020/01/05

2020年1月25日(土)午後1時30分より

慶應義塾大学三田キャンパス 研究室棟AB会議室

 

研究発表   

エドマンド・ウィルソンと「ロシア」

講師:岡本正明(中央大学)  

司会:大矢健(明治大学)

 

分科会

近代散文:The House of the Seven Gablesに見られる都市の形成

——文学研究とマテリアル・カルチャーの交差するところ

佐野陽子(成蹊大学・非)

 

現代散文:

真実の中の嘘、嘘の中の真実

——スタインベックの作品における弱者         

大須賀寿子(明治大学・非)

 

詩:どちらでもない場所で「声」をさがす

——Gloria E. Anzaldúa “To live in the Borderlands means you” を読む

山中章子(日本工業大学)

 

演劇・表象:

トランプ時代のアメリカ演劇

——Lynn Nottage作Sweat(2017)を中心に   

竹島達也(都留文科大学)

 

→研究発表の要旨は、支部ホームページをご確認ください。 


関西支部
2020/01/02

日本アメリカ文学会関西支部1月例会のご案内

2019年度日本アメリカ文学会関西支部1月例会を下記のとおり開催いたします。多くの会員の皆様が足をお運びくださいますよう、お願い申し上げます。

 

日時 2020年1月11日(土)午後3時より

 

場所 千里金蘭大学 https://www.kinran.ac.jp/

 

会場 千里金蘭大学 3715教室(正門から真正面に見える9階建ての建物の7階)

 

〒565-0873 大阪府吹田市藤白台5-25-1

 

【アクセス】https://www.kinran.ac.jp/access/access.html

 

◆阪急電鉄 阪急千里線「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◆①大阪メトロ(地下鉄)御堂筋線「千里中央駅」下車。阪急バス(12番のりば・175系統)で約10分。

 

金蘭会学園前下車すぐ

 

②堺筋線から乗り入れで阪急千里線「淡路駅」経由、「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◆大阪モノレール「山田駅」下車。阪急千里線に乗り換えて「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◆JRおおさか東線「淡路駅」下車。阪急千里線に乗り換えて「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◎千里中央駅のバス停マップ https://www.kinran.ac.jp/access/pdf/busmap.pdf

 

◎北千里駅からの詳細マップ https://www.kinran.ac.jp/access/pdf/walkmap.pdf

 

 

 

若手シンポジウム「アメリカ文学における親たち」

講師 小川恭佑(関西学院大学・院)

 

講師 尾崎裕子(龍谷大学・非)

 

講師 小林亜由美(京都大学・院)

 

講師 三宅一平(大阪大学・院)

 

コーディネーター 大川 淳(京都ノートルダム女子大学)

 

【発表タイトル】

 

・オークの木としてのGlendinning家—Herman MelvilleのPierre; or, The Ambiguitiesにおける両親(小川恭佑)

 

・再生への旅立ち—Winesburg, Ohioにおける両親の確執を手がかりとして(尾崎裕子)

 

・ 母にならなかったJanie—Zora Neale Hurston, Their Eyes Were Watching God における母娘の考察(小林亜由美)

 

・ 拡大家族の夢—Kurt VonnegutのSlapstickにおける非実在の「父」(三宅一平)

 

【概要】

 

アメリカ文学史において、これまで多くの作家が、親と子をさまざまに描いてきたが、その多くがある種の「歪み」を孕んでいる印象は拭えない。親は、子が肉体的にも精神的にも、(特に自己形成において)依存し影響を受ける存在であるがゆえに、その「歪み」は、物語を突き動かす動力を生じさせることになる。あるいは母性や父性といった概念が、ある意味、理想化されやすいものであるがゆえに、それらの機能の不全や喪失、さらには親そのものの「不在」は重要な意味をもつことになる。


一方で、親は生物学上の子をもつ存在を意味するだけではなく、社会的、政治的次元における力学的関係によっても規定されるものでもある。したがって、そうした「親子」の関係にみられる「歪み」は、家族の枠組みを超越し、「宗教」や「国家」など、広範にわたる主題へと接続し拡散する可能性を帯びることとなる。そこで本シンポジウムでは、こうした変奏する親の概念を念頭に置きつつ、メルヴィル、アンダーソン、ハーストン、ヴォネガットの作品を扱い、親がアメリカ文学の中でどのように描かれ、それらのストーリーにおいてどのような意味を紡いでいるのかを探ることを目的とする。

2020/01/02

日本アメリカ文学会関西支部1月例会のご案内

2019年度日本アメリカ文学会関西支部1月例会を下記のとおり開催いたします。多くの会員の皆様が足をお運びくださいますよう、お願い申し上げます。

 

日時 2020年1月11日(土)午後3時より

 

場所 千里金蘭大学 https://www.kinran.ac.jp/

 

会場 千里金蘭大学 3715教室(正門から真正面に見える9階建ての建物の7階)

 

〒565-0873 大阪府吹田市藤白台5-25-1

 

【アクセス】https://www.kinran.ac.jp/access/access.html

 

◆阪急電鉄 阪急千里線「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◆①大阪メトロ(地下鉄)御堂筋線「千里中央駅」下車。阪急バス(12番のりば・175系統)で約10分。

 

金蘭会学園前下車すぐ

 

②堺筋線から乗り入れで阪急千里線「淡路駅」経由、「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◆大阪モノレール「山田駅」下車。阪急千里線に乗り換えて「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◆JRおおさか東線「淡路駅」下車。阪急千里線に乗り換えて「北千里駅」下車。徒歩約10分。

 

◎千里中央駅のバス停マップ https://www.kinran.ac.jp/access/pdf/busmap.pdf

 

◎北千里駅からの詳細マップ https://www.kinran.ac.jp/access/pdf/walkmap.pdf

 

 

 

若手シンポジウム「アメリカ文学における親たち」

講師 小川恭佑(関西学院大学・院)

 

講師 尾崎裕子(龍谷大学・非)

 

講師 小林亜由美(京都大学・院)

 

講師 三宅一平(大阪大学・院)

 

コーディネーター 大川 淳(京都ノートルダム女子大学)

 

【発表タイトル】

 

・オークの木としてのGlendinning家—Herman MelvilleのPierre; or, The Ambiguitiesにおける両親(小川恭佑)

 

・再生への旅立ち—Winesburg, Ohioにおける両親の確執を手がかりとして(尾崎裕子)

 

・ 母にならなかったJanie—Zora Neale Hurston, Their Eyes Were Watching God における母娘の考察(小林亜由美)

 

・ 拡大家族の夢—Kurt VonnegutのSlapstickにおける非実在の「父」(三宅一平)

 

【概要】

 

アメリカ文学史において、これまで多くの作家が、親と子をさまざまに描いてきたが、その多くがある種の「歪み」を孕んでいる印象は拭えない。親は、子が肉体的にも精神的にも、(特に自己形成において)依存し影響を受ける存在であるがゆえに、その「歪み」は、物語を突き動かす動力を生じさせることになる。あるいは母性や父性といった概念が、ある意味、理想化されやすいものであるがゆえに、それらの機能の不全や喪失、さらには親そのものの「不在」は重要な意味をもつことになる。


一方で、親は生物学上の子をもつ存在を意味するだけではなく、社会的、政治的次元における力学的関係によっても規定されるものでもある。したがって、そうした「親子」の関係にみられる「歪み」は、家族の枠組みを超越し、「宗教」や「国家」など、広範にわたる主題へと接続し拡散する可能性を帯びることとなる。そこで本シンポジウムでは、こうした変奏する親の概念を念頭に置きつつ、メルヴィル、アンダーソン、ハーストン、ヴォネガットの作品を扱い、親がアメリカ文学の中でどのように描かれ、それらのストーリーにおいてどのような意味を紡いでいるのかを探ることを目的とする。