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司会 | 内容 |
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藤谷 聖和 |
1.Swimmer からDiverへ——F. Scott Fitzgeraldの“The Swimmers”を Tender Is the Night の序章として読む 高橋美知子 : 福岡大学 |
2.作家Nick Adams,人物Nick Adams,そして “he” 前田 一平 : 鳴門教育大学 |
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森 有礼 |
山本 裕子 : 同志社大学(非常勤) |
永尾 悟 : 熊本大学 |
高橋美知子 福岡大学
The Great Gatsby (1925)の成功の後Tender Is the Night (1934)完成へといたる道のりが、Fitzgeraldにとって苦難に満ちたものであったことは良く知られている。収入のための短編小説濫作を自嘲し、当時の彼は自分を「一回4000ドルの老いぼれ娼婦」と呼んだ。Fitzgeraldは短編小説執筆を作家の本分とは考えておらず、長編に集中できない自分に苛立っていた。だが彼の短編小説は「他の作家にとっての作品準備ノートに近い」とMatthew J. Bruccoliが指摘するように、彼の短編は長編執筆の過程を探る重要な手がかりを与えてくれる。
Tender Is the Night に関して言えば、Fitzgeraldは1922-33年の間に書いた短編小説のうち実に37作品から部分的な抜粋(“stripping”)を行ない、テクストに取り込んでいることがGeorge Andersonによって検証されており、1929年10月に発表された “The Swimmers” もその中の一つである。 “The Swimmers” から “stripping” が行なわれた箇所は合計でわずか150語程度であり、Tender への影響がこれまで論じられることは少なかった。だが本作はGatsbyからTenderへの道程をたどる上で、非常に興味深い作品である。
Fitzgeraldがアメリカとヨーロッパの対比という主題に取り組んだ作品のひとつである本作では、タイトルが示すように泳ぐ行為が象徴的な役割を果たす。主人公Henry Marstonが不実な妻Choupetteと離婚し新たな自己を獲得する過程は、彼の泳ぎの上達と並行して語られる。彼はヴァージニアを離れ、かつて国籍離脱者として住んだフランスへと戻っていくのであるが、母国アメリカへの敬愛と誇りを胸に新しい人生へと漕ぎ出していくその姿は、TenderにおいてDick Diverが、妻Nicoleと別れてフランスからアメリカへと帰国し、ニューヨーク州の町を転々としながら次第に消息を絶っていく様子と対照的である。
1929年と1934年の間に世界は大恐慌へと落ち込み、Fitzgeraldの妻Zeldaは精神病を発症した。それらの事件がTenderの執筆に大きな影響を与えたことは周知の事実であるし、“The Swimmers”とTenderのトーンの違いの要因になっていることも容易に推測できる。だがこの2作間には、エンディングで印象付けられる対照性以上に共通項があるのではないか。DickをHenryの延長線上に位置づけることは可能なのであろうか。そうだとすれば、HenryをDickに、 “swimmer”を下降し続ける “diver” に変貌させた要因は何であろうか。本発表では、 “The Swimmers”をTenderの序章と位置付けて読んでいきたい。
前田 一平 鳴門教育大学
作者を歴史と言説の中で構築されるひとつの機能にすぎないとするMichel Foucaultや,「作者の死」を説いたRoland Barthesを踏まえた上で,Ernest Hemingwayのホモセクシュアリティを論じるDebra A. Moddelmogは,作者の身体(“the author’s body”)の残存を主張する。そして,バルトの言う「伝記素」(“biographemes”)という概念を援用して,作者はまとまりをもつ単一な存在でも,伝記の中の主人公でもないと言う。「伝記素」とは,当該読者の目を特に引く作者の人生の断片,読者自身の「快楽,イメージ,イデオロギー,そして歴史と共鳴する細部」,つまり読者自身の「好み,偏愛,情念」によって生み出される「個人的」なものである。ここにModdelmogがみずからの本の題名Reading Desireに込めた批評スタンスがある。つまり,「作者」は読者の個人的な「欲望」として解釈の舞台に立ち現れるのである。Hemingwayのような大衆性の強い作家の場合は特に,作家のイメージは「メディア,批評家,書店,編集者,教師,出版社,伝記作家,そして作家自身の再現行為から立ち現れる」ので,その創られたイメージは「知識と欲望と権力の体系に縛られているのである」とModdelmogは言う。
社会によってであれ読者によってであれ,Hemingwayという作家は構築される存在として捉えられる。ところが,Hemingway自身,「作者」というポジションに極めて自意識的な作家であり,出版作および未出版原稿において自己言及的に作家/作者を描くことは少なくない。なかでも“On Writing”は,作者Hemingwayと登場人物Nick Adamsの間に介在する作家Nick Adamsの存在を措定していて,作者Hemingwayと作家Nick Adamsの峻別を読者にせまる。この遺稿出版作は原稿段階で“Big Two-Hearted River”の結末を成していたものである。作家Nickがみずからを中心人物とする物語を書くという物語を作者Hemingwayは書いていたのである。このようなメタフィクション的な自己言及性は,単に人物Nick Adamsと作家Nick Adamsと作者Hemingwayの同一性,つまりHemingwayの作品はほとんど完全な自伝であるという見解に収斂されるものではあるまい。むしろ,みずからの経験が透けて見えるほど自伝性が明らかな創作の自伝性を隠蔽あるいは操作するために,Hemingwayはペルソナとしての作中人物を創作する作者を措定しなければならなかったのではないだろうか。
作家Nick Adamsは“Big Two-Hearted River”の作者であるのみならず,In Our Timeの各ストーリー,また他の多くの長短編小説の作者でもあると仮定することによって,Nick Adamsの作家としてのポジションを解明したい。特に,Nickとは別名の中心人物を配した作品や,“he”という人称代名詞でしか言及されない人物を描いた“A Very Short Story”にみられる中心人物の名前の操作について検討する。
山本 裕子 同志社大学(非常勤)
19世紀末から20世紀初頭、米西戦争から第一次世界大戦を経たアメリカは、「帝国」として新しく生まれ変わろうとしており、また、そのほぼ全域で近代産業化を加速させていた。さて、この産業化の波は他のどの地域よりも遅れて南部に押し寄せたが、1920年代には葬式産業が台頭し、「アメリカ式の死」(American way of death) を確立した。Jack Temple Kerbyの研究に拠れば、家族が中心となる「伝統的」な葬式が執り行われたのは、南部辺境の最も遅い地域でも1920年代後半までであり、1930年後半にはほぼ皆無であるという。死は、家庭という私的領域から病院や葬儀会場という公的領域へと移行され、法的な規制の下におかれるようになった。William FaulknerのAs I Lay Dyingが出版された1930年とは、まさに南部に葬式革命が起きた時期であったのだ。
As I Lay Dyingの作品世界において町の人々に衝撃を与えた10日間のAddieの葬列は、この葬式産業化が完了する直前の時期だからこそ行われ得たものであった。幾多の論文が、その多くは文化人類学的見地から、Bundren一家の「通過儀礼」(rite of passage) について論じてきた。しかし、作品における「前近代的葬式」と「近代的葬式」との軋轢は、あまりにも自明すぎるためか、これまであまり顧みられることが無かったように思える。
作品を1920年代の葬式産業の勃興という歴史的文脈に置いてみたとき、見えてくるものは何か。葬式産業の産業としての確立を決定づけたのがembalmingの技術であったことを考えれば、Addieの葬列がAbraham Lincolnのそれ (Walt Whitmanの詩 “When Lilacs Last in the Dooryard Bloom’d” に詠われた) のパロディであるというTanaka Takakoの指摘は、非常に重要な意味を持つ。なぜなら、1865年に行われたアメリカ史上初の「国葬」は、20日間にわたってembalming技術を国中に宣伝し、「アメリカ的葬式」の礎となったからである。そして、Faulknerの作品において、この “Father Abraham” の立身出世を体現するかのような人物が繰り返し登場することは、多くの批評家たちの指摘するところである。また、貧しい移民の子から「国民的スター」となったRudolph Valentinoの1926年に行われた大陸横断の葬送行、「ハリウッド的葬式」も論考に値するであろう。本発表では、“national icon” の葬列を射程に入れつつ、Addieの葬式と「アメリカ的葬式」との相反を、臨終の場面・葬式・葬送行・埋葬の比較分析によって明確にし、「死の近代化」に対するFaulknerの立場を探ってみたい。
永尾 悟 熊本大学
William FaulknerのSanctuary(1931)の先行研究では、Horace Benbowのエディプス的な葛藤やTemple Drakeのジェンダーをめぐる議論が定番となっており、近年では精神分析的な読みが盛んに実践されてきた。ほぼ同時期に執筆されたThe Sound and the Fury(1929)やAs I Lay Dying(1930)が南部社会を人間の意識という内面世界に凝縮させて描いている点や、HoraceとQuentin Compsonの近親相姦的欲望という類似性を考えると、登場人物の内的領域に踏み込んでいく作品解釈は意義あるものだろう。しかし、このような読みは、Templeの陵辱事件やLee Goodwinの裁判を通して描かれる司法制度とジェファソンにおける共同体の価値観との複雑な関係を見えにくくしてしまうことにもなる。Sanctuaryの改稿過程において、Horaceの内面世界を中心としたオリジナル版がTempleの陵辱事件を通して共同体の現実を描き出す作品になった点を踏まえると、議論の視点を共同体内における相克に向け直すことは有益だと言えよう。
Tommy殺害の嫌疑をかけられたGoodwinの弁護をするHoraceは、法的権威と父権的規範の正当性を理想化しているところがあり、殺害事件がジェファソン住民に与える影響を十分に把握してはいない。誤認逮捕されて独房に入れられたGoodwinに対して、Horaceは、「法律と正義と文明が君を守ってくれるよ」と言って慰め、その内縁の妻Ruby Lamarには「神は時として愚かなことをするけれど、少なくとも紳士(gentleman)なんだ」という楽観的な言葉をかけている。しかし、Goodwinの裁判の場面は、Horaceの理想とは対極的な状況を生み出しており、司法の機能不全と共同体の父権的価値観に潜む暴力性を顕在化していく。地方検事Eustace Grahamは、Templeの受けた被害が「人間生活において最も神聖な」女性を侮辱するものであるため「ガソリンでの焚刑に値する」と言い、「紳士の皆さん(you gentlemen)」と呼びかけられる傍聴席の白人男性たちは、父権的秩序を乱す行為に対して「一斉のため息(collective breath)」をつきながら静な怒りを示す。そして、地方検事の言葉通りにGoodwinに対する「ガソリンでの焚刑」を執り行うのは、法に携わる役人ではなく、刑務所の外に集まる「群衆」なのである。
この「群衆」を構成するジェファソン住民は、Goodwinから密造酒を買い続けていた「得意客」で、その中にはRubyに近づく機会を密かに狙っていた男たちもいたが、彼が逮捕されると、一斉に酒の蒸留器を探し出して廃業に追い込もうとする。つまり、アウトローな酒類密造業者と共犯関係にあった者たちが、父権的秩序の侵犯行為に対して法の外側から過激な制裁を加えており、法権威と「紳士」としての倫理規範は複雑に絡み合いながら共に逸脱へと向かうのである。そこで本発表では、Sanctuaryの法をめぐる問題が共同体の伝統的規範の危うさを照射することを論証していく。さらに、この作品から浮かび上がるジェファソンの姿が、Light in August(1932)など1930年代のFaulkner作品で描かれる共同体のダイナミズムへと発展していく点にも言及する。