1. 全国大会
  2. 第47回 全国大会
  3. <第1日> 10月11日(土)
  4. 第4室(1号館4階 I-404教室)
  5. 4.Sanctuary における「法」と共同体

4.Sanctuary における「法」と共同体

永尾  悟 熊本大学


William FaulknerのSanctuary(1931)の先行研究では、Horace Benbowのエディプス的な葛藤やTemple Drakeのジェンダーをめぐる議論が定番となっており、近年では精神分析的な読みが盛んに実践されてきた。ほぼ同時期に執筆されたThe Sound and the Fury(1929)やAs I Lay Dying(1930)が南部社会を人間の意識という内面世界に凝縮させて描いている点や、HoraceとQuentin Compsonの近親相姦的欲望という類似性を考えると、登場人物の内的領域に踏み込んでいく作品解釈は意義あるものだろう。しかし、このような読みは、Templeの陵辱事件やLee Goodwinの裁判を通して描かれる司法制度とジェファソンにおける共同体の価値観との複雑な関係を見えにくくしてしまうことにもなる。Sanctuaryの改稿過程において、Horaceの内面世界を中心としたオリジナル版がTempleの陵辱事件を通して共同体の現実を描き出す作品になった点を踏まえると、議論の視点を共同体内における相克に向け直すことは有益だと言えよう。

Tommy殺害の嫌疑をかけられたGoodwinの弁護をするHoraceは、法的権威と父権的規範の正当性を理想化しているところがあり、殺害事件がジェファソン住民に与える影響を十分に把握してはいない。誤認逮捕されて独房に入れられたGoodwinに対して、Horaceは、「法律と正義と文明が君を守ってくれるよ」と言って慰め、その内縁の妻Ruby Lamarには「神は時として愚かなことをするけれど、少なくとも紳士(gentleman)なんだ」という楽観的な言葉をかけている。しかし、Goodwinの裁判の場面は、Horaceの理想とは対極的な状況を生み出しており、司法の機能不全と共同体の父権的価値観に潜む暴力性を顕在化していく。地方検事Eustace Grahamは、Templeの受けた被害が「人間生活において最も神聖な」女性を侮辱するものであるため「ガソリンでの焚刑に値する」と言い、「紳士の皆さん(you gentlemen)」と呼びかけられる傍聴席の白人男性たちは、父権的秩序を乱す行為に対して「一斉のため息(collective breath)」をつきながら静な怒りを示す。そして、地方検事の言葉通りにGoodwinに対する「ガソリンでの焚刑」を執り行うのは、法に携わる役人ではなく、刑務所の外に集まる「群衆」なのである。

この「群衆」を構成するジェファソン住民は、Goodwinから密造酒を買い続けていた「得意客」で、その中にはRubyに近づく機会を密かに狙っていた男たちもいたが、彼が逮捕されると、一斉に酒の蒸留器を探し出して廃業に追い込もうとする。つまり、アウトローな酒類密造業者と共犯関係にあった者たちが、父権的秩序の侵犯行為に対して法の外側から過激な制裁を加えており、法権威と「紳士」としての倫理規範は複雑に絡み合いながら共に逸脱へと向かうのである。そこで本発表では、Sanctuaryの法をめぐる問題が共同体の伝統的規範の危うさを照射することを論証していく。さらに、この作品から浮かび上がるジェファソンの姿が、Light in August(1932)など1930年代のFaulkner作品で描かれる共同体のダイナミズムへと発展していく点にも言及する。