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司会 | 内容 |
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田中 敬子 |
1.The Last Tycoonにおけるハリウッドと文学の邂逅——Fitzgeraldとモダニズム 池田 幸恵 : 広島大学(院) |
2.楽園の回復——Faulknerの遺作The Reiversにみる老年期へのイニシエーション 山本 裕子 : 京都ノートルダム女子大学 |
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高野 泰志 |
3.Green Hills of AfricaにおけるHemingwayの次元認識 若松 正晃 : 広島大学(院) |
4.顔と戦闘—Hemingway、Ivens、ポリティカル・スペイン 塚田 幸光 : 関西学院大学 |
池田 幸恵 広島大学(院)
F. Scott Fitzgeraldによる第5作目であり、その死によって未完のままとなってしまった最後の長編小説The Last Tycoon(以下LT)では、Cecilia Bradyが自身の体験を回顧する形式を取りながら、タイトルが示す通りの「最後の大君」であるハリウッドのプロデューサーMonroe Stahrと、ハリウッドを理解してもらうことの困難さについて語る。そして、Ceciliaは、“When I was at Bennington some of the English teachers who pretended an indifference to Hollywood or its products really hated it. Hated it way down deep as a threat to their existence.”と、大衆的なものを軽視し、ハリウッドを敵視する文学者を批判する。しかし、この大衆的なものを軽視する傾向は、LT以前に長編作品こそ本当の文学と自負していたFitzgerald自身の文学観に通じるものである。
ところで、Fitzgeraldは1937年から三度目のハリウッドでの脚本家の仕事に従事する。作家としての名声を失ったFitzgeraldの三度目の脚本家の仕事は、彼にアメリカ文学界を外から眺め、文学を相対化する視点をもたらした可能性がある。その結果生じた変化が、上述したCeciliaの文学批判には窺えるように見える。事実、Fitzgeraldのそれまでの短編とLTでのハリウッドの描き方や、“The Crazy Sunday”とLTでのIrving Thalbargをモデルにした人物の捉え方の違いには、その変化が明確に現れている。従って、LTを映画と文学の対立の物語として描くことで、Fitzgeraldは作中のStahrの映画製作に関わる問題を論じているだけでなく、彼自身の著作姿勢に関わる大きな問題と正面から向き合っていたと言うことができる。プロデューサーStahrの苦悩は、文学者Fitzgerald自身の苦悩の裏返しであり、Fitzgeraldはそこに作家としての自己批評を籠めながら、それまでのモダニスト作家という自身の文学的立場から抜け出て、新たな文学の可能性を模索していたと考えられるのである。
そこで本発表では、Ceciliaの視点を通しながらStahrについて物語るという枠組みを用いて明らかにされる映画の問題を分析し、そこからFitzgeraldがハリウッドでの体験から新たにどのような文学観を獲得したかを明示したい。
山本 裕子 京都ノートルダム女子大学
1950年のノーベル文学賞受賞以降、名実ともに「アメリカを代表する」国民的作家となったWilliam Faulknerは、私生活に関するインタビューや写真撮影を極端なまでに避け、公になる自らのイメージを制御しようとした。ペルソナの変遷については、既に幾人もの伝記作家たちが詳らかにしてきたところであるが、1951年、編集者Robert Haas宛の手紙の中で彼が自身の「回想録」を書く構想を記していることは注目に値する。実際、1954年には、半自伝半虚構である“Mississippi” を発表している。Faulknerの遺作となるThe Reivers: A Reminiscence (1962年)も、この構想に連なる「小説」である。
作家の五人の孫へ捧げられた本作品は、Faulkner文学では異色なことに、明るく朗らかなコメディータッチである。同時に、副題のA Reminiscenceが示すように、語りの現在である1962年の時点から1905年を回顧する作品プロットは、必然的にノスタルジックな色調を帯びる。「祖父」として老成した視点を持つ語り手が物語る11歳の自分の大人へのイニシエーションは、その実、作家のペルソナである語り手の老年期へのイニシエーションを物語るのである。50歳を過ぎてからのFaulknerは、肉体の衰弱よりも作品生産性の衰退に対する怯えを強く感じていた。母親Maudの死、アルコール依存症と度重なる入院、作家は忍び寄る「老い」や「死」とどのように向き合いどのような境地に至ったのであろうか。
「半自伝的」と称されるこの遺作においてFaulknerは、自らの虚構世界であるYoknapatawpha sagaを歴史化する行為と自伝を虚構化する行為とを同時遂行することによって、「故郷」と「自己」の物語を遡及的に創造している。フランスを舞台にした意欲作Fableの後、Faulknerは、最後に彼の創造した虚構世界Yoknapatawphaへ回帰し、自己のペルソナをその歴史の中に位置づけるのである。The Reiversのプロットの行き着く先は主人公の少年Luciusの家庭への回帰であり、作品の結末で示される大団円は、Everbeの堕落した娼婦から家庭の主婦へという救済である。娼婦/聖母というステレオタイプ的な女性人物と南部の土地とは二重写しとなり、楽園アメリカの喪失と回復のパターンをなぞる。本発表では、変容する南部の表象と変貌する作家のペルソナとの重なり合いを明らかにしたうえで、晩年、最古の植民州Virginiaの紳士として老年期を迎えたFaulknerが、遺作において、いかに南部ひいてはアメリカと向き合ったのかを明らかにしたい。初期作品から一貫して南部という原風景を見つめてきた作家は、死を目前にして南部の歴史と和解したのであろうか。
若松 正晃 広島大学(院)
Ernest Hemingwayのノン・フィクション第二作、Green Hills of Africa (1935)は、彼自身のアフリカでのサファリ体験を描いた作品である。本作品の三年前に出版された第一作目のノン・フィクション、Death in the Afternoon (1932)は、自身の体験を元にした優れた闘牛研究書、闘牛案内書として、また純粋な死そのものを捉えようとした、いわば死の研究書として、その存在感を誇示し、ノン・フィクションの枠を超えた作品と考えられてきた。これに対し、Green Hills of Africaは一見すると旅行記や回想録であり、ノン・フィクションの枠を抜け出るものではないと見なされがちである。
しかしながら、本作品は、Hemingwayのアフリカへの視線を生き生きと描き出したノン・フィクションであると同時に、小説的な構造も持っている。また、そこには彼の文学に対する視線が織り込まれ、アフリカの大地の描写に重ねて提示された彼の文学姿勢には、新たな創作に踏み出そうとする点が窺える。このように、Hemingwayの文学的告白の場になっているGreen Hills of Africaは、従来考えられてきたよりもはるかに重要な作品の可能性が高い。
Hemingway文学におけるGreen Hills of Africaの価値や位置を再評価する際、注目すべき点はやはり、本作品に散見される彼の文学論であろう。その中でも、彼が小説の持つべき要素として掲げた、「第四次元」や「第五次元」は興味深い。というのも、そこには、Henri BergsonやP. D. Ouspenskyらに通じるHemingwayの時空間認識と、彼が芸術作品として生み出そうとするフィクションとの関係が見て取れるからである。しかしながら、Hemingwayが「第五次元」といった把握しづらい表現を用いているために、今日までHemingwayの「第五次元」がどのような文学世界なのか、明確に論じた批評家はいない。もともとGreen Hills of Africaは、Hemingway研究者が作品全体を研究対象として取り上げることが極めて少ない作品であった。そして、取り上げられた場合に考察されるのは、大概がHemingwayの文学論であるにもかかわらず、彼が「次元」という言葉で表そうとした文学的地平が、アフリカやサファリとの関係を精査しながら詳細に議論されることはなかった。
そこで本発表では、先行研究における「第五次元」への理解を踏まえたうえで、Green Hills of Africaが持つ小説的な構造とHemingwayのアフリカへの視線から生まれた「第四次元」的時空間認識を明らかにし、そこから浮かび上がる彼自身の存在認識について考察する。その後、こうしたHemingwayの「第四次元」的時空認識や自己存在に対する認識が、どのような形で「第五次元」へと発展してゆくのか、そこに見えてくるHemingwayの「第五次元」とはどのようなものか、検証する。
塚田 幸光 関西学院大学
“Fascism is a Lie” —1937年6月、第2回全米作家会議。Ernest Hemingwayは、ここで政治的「転向」を宣言する。Edmund Wilsonが批判したノンポリ・ハンター/ライターは、スペイン内戦を経て、政治的作家へと変貌を遂げるのだ。これ以降、Hemingwayは、内戦のダークサイドを様々な角度から描き、急速に左傾化することになる。To Have and Have Not (1937)、The Fifth Column and the First Forty-Nine Stories (1938)、そしてFor Whom the Bell Tolls (1940)。或いは、“The Denunciation”などのスペイン短編群、共産党系新聞New Massesや左派系雑誌Kenへの接近、北米新聞連盟(NANA通信)の特派員活動等をふまえれば、Hemingwayの変貌は顕著であり、疑いようがない。これらは、“Fascism is a Lie” 宣言の延長線上にあり、それ以前のスタイルとは一線を画すからだ。だが、ここで我々は、ある疑問を抱くべきだろう。彼はスペインで一体何を見て、何を体験したのだろう、と。
二種類の「ゲルニカ」。Hemingwayとスペイン内戦の関係を探る上で、このキーワードは興味深い指針となる。Pablo PicassoのGuernica (1937)とHemingway/Joris Ivensのドキュメンタリー映画The Spanish Earth (1937)。絵画に描かれるゲルニカの惨劇、或いはThomas Waughがメタファーとして述べるイタリア軍の爆撃フィルム。この二種類の「ゲルニカ」は、ファシズムへのプロテストとして、モダニズム芸術の政治性を前景化させるだろう。芸術は内戦を活写し、反ファシズムのプロパガンダとなる。1930年代後半とは、モダニズムがファシズムの洗礼を経て、政治化する時代ではなかったか。この時代、芸術は政治化し、政治は芸術を包摂したのだ。この依存関係は、例えば、迷彩をキュビズムに例えたPicassoに限らず、ナチスとLeni Riefenstahlの関係を見れば明らかだろう(ナチスのメディア政策とは、文化のデータベース化を目論んだRooseveltのニューディールにも酷似していたはずだ)。大戦前夜の政治的磁場において、当然のことながら、Hemingwayも自由ではいられない。ジャーナル、フィルム、そして小説。彼は複数のメディアを通じて、スペインの現実を問う。Hemingwayの「スペイン」—それは、メディア・ミックスから見えてくる政治性の別名である。
本発表では、上記のような政治的状況を整理しながら、Hemingwayの変貌の軌跡を辿る。ここで注目するのは、先にも触れた共産主義者/映画監督Joris Ivensである。彼はHemingwayにスペインを体験させ、共同で映画を撮る。The Spanish Earthが捉える暴力の極致としての「戦闘」、そして人間の尊厳と狂気が表出する「顔」。文学とは異なるレトリックで、内戦という現実が活写されるのだ。さらに言えば、NANA通信が、The Spanish Earthと同時並行的に書かれた事実も忘れるべきではない。紙面/フィルムに「リアリズム」を掬い取る仕事は、一見、フィクションの対極だろう。だが、このジャーナル/ドキュメンタリーを経由することで、Hemingwayのフィクションは、For Whom the Bell Tollsで再び息を吹き返す。我々はそのプロセスを辿り、Hemingway文学の転換点、或いは、文学の政治性を再確認する必要があるだろう。