山本 裕子 京都ノートルダム女子大学
1950年のノーベル文学賞受賞以降、名実ともに「アメリカを代表する」国民的作家となったWilliam Faulknerは、私生活に関するインタビューや写真撮影を極端なまでに避け、公になる自らのイメージを制御しようとした。ペルソナの変遷については、既に幾人もの伝記作家たちが詳らかにしてきたところであるが、1951年、編集者Robert Haas宛の手紙の中で彼が自身の「回想録」を書く構想を記していることは注目に値する。実際、1954年には、半自伝半虚構である“Mississippi” を発表している。Faulknerの遺作となるThe Reivers: A Reminiscence (1962年)も、この構想に連なる「小説」である。
作家の五人の孫へ捧げられた本作品は、Faulkner文学では異色なことに、明るく朗らかなコメディータッチである。同時に、副題のA Reminiscenceが示すように、語りの現在である1962年の時点から1905年を回顧する作品プロットは、必然的にノスタルジックな色調を帯びる。「祖父」として老成した視点を持つ語り手が物語る11歳の自分の大人へのイニシエーションは、その実、作家のペルソナである語り手の老年期へのイニシエーションを物語るのである。50歳を過ぎてからのFaulknerは、肉体の衰弱よりも作品生産性の衰退に対する怯えを強く感じていた。母親Maudの死、アルコール依存症と度重なる入院、作家は忍び寄る「老い」や「死」とどのように向き合いどのような境地に至ったのであろうか。
「半自伝的」と称されるこの遺作においてFaulknerは、自らの虚構世界であるYoknapatawpha sagaを歴史化する行為と自伝を虚構化する行為とを同時遂行することによって、「故郷」と「自己」の物語を遡及的に創造している。フランスを舞台にした意欲作Fableの後、Faulknerは、最後に彼の創造した虚構世界Yoknapatawphaへ回帰し、自己のペルソナをその歴史の中に位置づけるのである。The Reiversのプロットの行き着く先は主人公の少年Luciusの家庭への回帰であり、作品の結末で示される大団円は、Everbeの堕落した娼婦から家庭の主婦へという救済である。娼婦/聖母というステレオタイプ的な女性人物と南部の土地とは二重写しとなり、楽園アメリカの喪失と回復のパターンをなぞる。本発表では、変容する南部の表象と変貌する作家のペルソナとの重なり合いを明らかにしたうえで、晩年、最古の植民州Virginiaの紳士として老年期を迎えたFaulknerが、遺作において、いかに南部ひいてはアメリカと向き合ったのかを明らかにしたい。初期作品から一貫して南部という原風景を見つめてきた作家は、死を目前にして南部の歴史と和解したのであろうか。