若松 正晃 広島大学(院)
Ernest Hemingwayのノン・フィクション第二作、Green Hills of Africa (1935)は、彼自身のアフリカでのサファリ体験を描いた作品である。本作品の三年前に出版された第一作目のノン・フィクション、Death in the Afternoon (1932)は、自身の体験を元にした優れた闘牛研究書、闘牛案内書として、また純粋な死そのものを捉えようとした、いわば死の研究書として、その存在感を誇示し、ノン・フィクションの枠を超えた作品と考えられてきた。これに対し、Green Hills of Africaは一見すると旅行記や回想録であり、ノン・フィクションの枠を抜け出るものではないと見なされがちである。
しかしながら、本作品は、Hemingwayのアフリカへの視線を生き生きと描き出したノン・フィクションであると同時に、小説的な構造も持っている。また、そこには彼の文学に対する視線が織り込まれ、アフリカの大地の描写に重ねて提示された彼の文学姿勢には、新たな創作に踏み出そうとする点が窺える。このように、Hemingwayの文学的告白の場になっているGreen Hills of Africaは、従来考えられてきたよりもはるかに重要な作品の可能性が高い。
Hemingway文学におけるGreen Hills of Africaの価値や位置を再評価する際、注目すべき点はやはり、本作品に散見される彼の文学論であろう。その中でも、彼が小説の持つべき要素として掲げた、「第四次元」や「第五次元」は興味深い。というのも、そこには、Henri BergsonやP. D. Ouspenskyらに通じるHemingwayの時空間認識と、彼が芸術作品として生み出そうとするフィクションとの関係が見て取れるからである。しかしながら、Hemingwayが「第五次元」といった把握しづらい表現を用いているために、今日までHemingwayの「第五次元」がどのような文学世界なのか、明確に論じた批評家はいない。もともとGreen Hills of Africaは、Hemingway研究者が作品全体を研究対象として取り上げることが極めて少ない作品であった。そして、取り上げられた場合に考察されるのは、大概がHemingwayの文学論であるにもかかわらず、彼が「次元」という言葉で表そうとした文学的地平が、アフリカやサファリとの関係を精査しながら詳細に議論されることはなかった。
そこで本発表では、先行研究における「第五次元」への理解を踏まえたうえで、Green Hills of Africaが持つ小説的な構造とHemingwayのアフリカへの視線から生まれた「第四次元」的時空間認識を明らかにし、そこから浮かび上がる彼自身の存在認識について考察する。その後、こうしたHemingwayの「第四次元」的時空認識や自己存在に対する認識が、どのような形で「第五次元」へと発展してゆくのか、そこに見えてくるHemingwayの「第五次元」とはどのようなものか、検証する。