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司会 | 内容 |
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西谷 拓哉 |
1.母の息子から国家の父へ——A Romance of the Republicにおけるキングの変貌—— 高瀬 祐子 : 成蹊大学(院) |
2.“The Two Temples”とキューバをめぐる想像力 小椋 道晃 : 立教大学(院) |
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牧野 有通 |
3.Melville作“The Piazza”の宇宙構造論——「妖精の国への内陸の船旅」 藤江 啓子 : 愛媛大学 |
4.デラーノ船長のマサチューセッツ—— “Benito Cereno”と奴隷解放論 高橋 勤 : 九州大学 |
高瀬 祐子 成蹊大学(院)
A Romance of the Republicは、奴隷制廃止論者であり、女性・インディアンの権利向上を求めた活動家としても知られているLydia Maria Child の最後の長編小説である。出版は、奴隷解放宣言が出され、南北戦争が終結してから2年後の1867年であり、19世紀後半から南北戦争終結までを時代設定としている。物語後半では登場人物の多くが戦争に参加しているが、軸となっているのは、裕福な白人として育ったローザとフローラという美しい姉妹の人生である。姉妹の父が突然亡くなり、二人が混血奴隷であったことが発覚し、物語は大きく動き出す。本発表では、ローザの二人目の夫であるキングに焦点を当て、彼がこの作品においてどのような役割を果たし、またどのように変貌を遂げたのかを分析し、Reconstruction期のアメリカにおけるキングの意義を考察したい。
これまでこの作品は、ローザが行った赤ん坊の取り替えを中心に論じられてきた。ローザはフィッツジェラルドという南部の男と結婚するが、本当は奴隷として買われただけだったことを知り、自分が産んだ混血の赤ん坊が奴隷として売られることを恐れ、フィッツジェラルドの白人の妻リリーベルが産んだ赤ん坊と取り替える。これにより白人の子供は奴隷として育ち、混血の子供は白人として育つことになる。裕福な白人と奴隷という異なる環境で育った二人の子供たちは、後になって、南北戦争をきっかけに偶然出会う。その際、子供たちのもつれた運命の糸を元に戻そうと奔走するのがキングである。
この作品は二部構成になっており、キングは第一部の冒頭で登場するが、すぐに姿を消してしまい、その後第一部にはほとんど登場していない。しかし、ローザと結婚した後、第二部では、Carolyn Karcherの言葉を借りれば、彼が作品を「支配する」ようになるのである。当初、キングはひと目でローザに惹かれるが、彼女が混血奴隷であることを知ると、「どうやって(厳格な母に)彼女を紹介したらいいのか」と苦悩し、ローザへの思いを断ち切ろうとボストンに帰ってしまう。この時点でキングは母の目を気にする息子に過ぎないのだが、物語後半、ローザと結婚した後はキングの立ち位置に大きな変化があらわれる。キングは家族の周囲で起こる様々な問題を取り仕切るようになり、ローザから赤ん坊を取り替えたことを知らされると、二人の子供たちに深く関わっていくのである。
キングは子供たちの記憶の空白を埋め、親密な関係を築く。乳児期に行われた「取り替え」を子供たちが覚えているはずもない。ローザだけが知るこの事実を彼女と共有したキングは、ローザに代わって、子供たちそれぞれに本当の血筋を告白する。これにより、キングは子供たちと疑似的な父子関係を築くのである。
「取り替え」という失われた記憶の告白によって結ばれた父子関係により、キングは2人の息子たちの「父」となり、彼らを支配する。そして、キングは家族という共同体を再生するのである。南北戦争により分裂したアメリカ国家が再生に向けて動き出したまさにその時、家族の分離と再生を描いたこの作品において、その主導者であるキングがなにを表象しているのか考えてみたい。
小椋 道晃 立教大学(院)
Herman Melville (1819-91)の短編“The Two Temples”は、1854年に執筆されていながらも、雑誌Putnam’s Monthly Magazineに掲載を断られており、作家の生前には出版されることのなかった作品である。本作品が雑誌掲載を断られた理由のひとつは、メルヴィル宛の手紙等によって明らかにされてきたように、作中のアメリカ教会に対する明確な風刺が原因であるとされている。本短編は、アメリカとイギリスのトランスアトランティックな対立を軸にした「二つ折り版」という形式をとる作品のひとつに数えられ、従来、合衆国とイギリスの対立軸のもとで読み解かれることが多く、とりわけ、作中に登場する英国の俳優に注目し、1849年に起きたアスター・プレイス・オペラハウスでの暴動と関連づけて論じられてきた。
しかし、本発表において注目したいのは、アメリカの教会に入ることを許されない語り手が、こっそり忍びこみ、礼拝の様子を見下ろす場面において、会衆の頭がステンドグラスの多彩な色に輝き、「まるでキューバの太陽の光によってぴかぴか光る海底の小石のように見えた」と語ることである。アメリカの教会とイギリスの劇場という明確な対比を書き込んだメルヴィルの想像力の中で、その間に挟まれるカリブ海の島のイメージにはいかなる意図が込められているのだろうか。
この問いに答えるには、同時期のパトナムズ誌の傾向を考慮しなければならない。同誌には、カリブ海の島々や、メキシコ、南米といった地域の旅行記やエッセイなどが数多く寄稿されている。なかでも、創刊号の巻頭を飾ったのが、“Cuba” (January 1853)と題されたエッセイであったことは見逃せない。ここでは、スペインの植民地であるキューバの歴史的状況と、キューバの自由と独立をめぐる合衆国の立場について詳細に論じられている。19世紀前半において、アメリカの世論は、スペインの桎梏から自らを解き放とうとする中南米の共和国に対し、自らの対英独立戦争の記憶を重ね合わせ、中南米諸国の革命に熱狂的な支持を表明していた。このことはむしろ、明白な天命のもとで領土拡張を推し進めるアメリカ国家のカリブ海を含めた西半球の帝国主義的支配とも連動している。
したがって、本発表は、“The Two Temples”で展開される英米の対立軸のうちに、合衆国の愛国的な意識に対する作家の皮肉な眼差しを抽出し、他のメルヴィル作品に対する考察も交えつつ、スペイン支配下のキューバをめぐる想像力を同時代の言説とも関連させて読み解いてみたい。
藤江 啓子 愛媛大学
“The Piazza”(1856)で描かれる風景は、バークシャー地方を背景とする。当時、バークシャー地方を含む合衆国北東部田園地帯は景色が良いことで知られ、多くのピクチャレスク愛好家が訪れた。作品において、語り手の住む家のあたりの景色も「絵描きたちの天国」と述べられる。作品はそのようなピクチャレスクな風景の背後に潜む山の住人、とりわけ女性の苦境を描いたものであるといえる。
美しい風景を呈するグレイロック山の「一点の輝き」を目指す語り手の旅は地球規模のものであり、そこにはイギリスとタヒチという世界の中心と周縁が内包されている。語り手の旅は「妖精の女王」が住む「妖精の国」へ向かう。これはEdmund Spenser作The Faerie Queeneへのアルージョンであり、イギリスとElizabeth女王が意図されていると思われる。The Faerie Queene冒頭に付せられたSpenserからWalter Raleighへの手紙によると、妖精の国はイギリス、妖精の女王はElizabeth女王陛下であるという。一方、語り手の旅は「内陸の船旅」とも述べられ、南海への船旅のイメージで描かれる。辿り着いた山小屋には実際にはMariannaという孤独と貧困に苦しむ女性が住んでいた。彼女は「タヒチの女」に喩えられ、語り手はイギリスの航海家Cook船長に喩えられる。植民地主義の支配構造が読み取れるが、Melvilleは批判的な視座を取る。語り手はMariannaに共感を覚え、またFoucauld的な権力の視線の間違いを経験するからである。
最初、語り手は、パノラマのようなピアザを作ることによってパノプティコン的、「すべてを見る」視線とそれによって得られる風景を望む。「すべてを見る」視線はMoby-Dickにおいて教会の説教壇から説教するMapple神父に見ることが出来る。世界の透明性を前提とした神学的全知全能の視線は世俗化し権力の視線となりうる。この視線の間違いを語り手は経験し、不安定な可視性によってのみ捉えられる「暗闇と共にある真実」に目覚めていく。「空洞の礼拝堂」と表現される谷川の急流によってえぐられる岩や、「荒野に向かって説教するナンテンショウ(説教壇のJack)」は権威的宗教に対する風刺を自然描写で表している。「これ以上求めるなかれ」という名の禁断の木の実、「イヴの林檎」を食べた語り手は、堕落した世界の現実へ入っていくのである。また、Mariannaからは「見られる」存在であることが判明する。
ピアザから見る風景の変化は、Spenser的なパストラリズムから反パストラリズムへ、Wordsworthのロマン主義から反ロマン主義への変化でもある。Mariannaの住む、雲の影が支配する苔むす山小屋は宇宙の隠された暗闇の真実である。ピアザ上での想像の旅は、ピクチャレスクな風景に潜む宇宙の悲惨な現実を朧に見せてくれる。グレイロック山は「宇宙規模の山」であり、語り手の想像の旅は世界の中心と周縁を横断し、また、宇宙の暗く不可解な内部へ入っていく。全宇宙構造を持つと言える。
高橋 勤 九州大学
Robert Burkholder によって編纂された Critical Essays on Herman Melville’s Benito Cereno (1992) は、Melvilleのこの中編の批評の系譜をきわめて明確に規定している。そこにおいて問われているのは、奴隷制という社会的な文脈における作者 Melvilleの立つ位置であり、このテキストがもつと思われる政治的な意図であった。南北戦争前夜ともいえる1850年代中盤に発表され、奴隷船上の反乱というきわめて刺激的なテーマを扱った作品だけに、その政治性に議論が集中したのであろうし、Burkholderの編集の意図が新歴史批評の枠組みのなかに囚われていたことも事実であったろう。
いっぽう、この作品とマサチューセッツとの関連性は従来顧みられなかったように思われる。マサチューセッツ州西端ピッツフィールドで執筆を続けていたMelvilleは、ボストンやコンコード周辺を中心として繰り広げられた奴隷解放運動、あるいは逃亡奴隷の拘束に対する熾烈な攻防をどのような視点から眺めていたのか。義父Lemuel Shaw がマサチューセッツ最高判事として、逃亡奴隷 Thomas Sims の拘束に対する判決に関わっていた事実と、Melvilleの政治的な立場とは関連があったのだろうか。あるいは、歴史上のDelano船長がマサチューセッツ出身であること、そしてその事実と作品中のデラーノ船長の人物描写とは無関係であったのだろうか。
こうした問題を考えるうえでヒントとなるのが、Melvilleと親しい関係にあったNathaniel Hawthorne の奴隷制に対する視座、あるいはピッツフィールドにおけるMelville の隣人Oliver Wendell Holmes の視点であったと思われる。Melvilleがマサチューセッツにおいて熾烈化する奴隷解放運動にいかに向き合おうとしたのか、そして”Benito Cereno”という作品のなかにマサチューセッツの社会状況がどのような影を落としていたのか. そうした問題をより具体的な社会的コンテクストあるいは人間関係の脈絡において考察する必要はなかっただろうか。
従来、Melvilleのこの作品の政治性は、奴隷制度をめぐる北部と南部の対立、あるいは黒人奴隷に向けられた差別言説というような漠然とした観点から論じられてきたように思われる。奴隷の蜂起という問題についても、Amistad号事件、あるいはNat Turnerの反乱や西インド諸島の黒人蜂起などより普遍的なテーマの観点から論じられてきたように思われる。本発表では、むしろ、1850年代のマサチューセッツの政治状況を浮かび上がらせることで、Melvilleの作品が投射した政治性について考察してみたい。