開始時刻 |
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司会 | 内容 |
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桧原 美恵 |
1.紡ぎ出される物語— Obasan における日記、写真、手紙から読み解く「戦争」 松尾 直美 : 福岡女子大学(院) |
藤 章 : 北海道大学 |
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鵜殿 えりか |
3.クレオールからみたアメリカ合衆国— Tar Baby と Praisesong for the Widow をめぐって 阿部 暁帆 : 成蹊大学(院) |
4.多文化的理想とアメリカ——E.L. DoctorowとRandolph Bourneをめぐって 石崎 一樹 : 徳島文理大学 |
松尾 直美 福岡女子大学(院)
1983年度の全米図書賞を受賞したJoy Kogawaの Obasan (1981)は、Kogawa自身の自伝的要素を盛り込んで第2次世界大戦中のカナダにおける強制収容を主に描いている。この作品が1988年のカナダ政府の戦時補償法の成立の原動力になったことからもわかるように、マイノリティ女性による文学が、社会的、政治的に有効な言説となって結実する可能性を提示した作品でもある。物語は、日系3世のMegumi Naomi Nakaneの視点を中心に展開していく。また、2世の母親、Emilyおばさん、Ayaおばさんなどの女性たちの物語がNaomiの語りの中だけでなく、日記、写真、手紙によって描写され、紡ぎ合うことで多声的な物語が完成する。そして、彼女たちの物語は、大戦中の日系カナダ人一家が被った強制立ち退き、原爆や戦時補償を求めるリドレス運動の3点に集約される。
発表では、「正史」からではなく、気質も世代も異なる女性たちの物語から抽出される戦争について検証していく。また、周縁化されたマイノリティ女性が発信源となり、戦争や強制収容に対する異議申し立てとして作品が十分なエンパワメントを獲得した要因について考察する。はじめに、作品の主なテーマとなる強制収容体験に焦点を当てる。強制収容体験が、少女Naomiの幼い声と断片的な記憶によって語られるだけではなく、日記や写真といった私的文書や事物によって補完されることにより、収容所体験を多様な側面から描くことが可能となることを明らかにする。また、周縁化された女性たちの表現手段としての日記や写真の効力を検証していく。
さらに、手紙に描かれる原爆について分析する。作品において、原爆の描写はNaomiの母親の死の真相が明かされる物語の結末、そして元来日米間の議論に偏りがちな原爆の問題について日系カナダ人の視点から描いたという2つの重要な要素を含む。ナガサキの様子が生々しく描かれる私的書簡が、アメリカ、カナダでは公にされていない被爆の実体を明らかにし、(特にアメリカの)歴史において正当化されていることに対しての批判として読み取れる。同時に核の問題を描くことで、作品が人類共通の戦争問題へと視野を拡大させ、それがまた女性の視点によって照射されることを明らかにする。
伊藤 章 北海道大学
太平洋戦争が始まると、合衆国の西海岸に住む日系人が収容所に送られたことはよく知られているが、カナダのブリティッシュ・コロンビア州(以下BC州と略)沿岸部に住む日系人2万1000人にも同じような、いやアメリカの同胞以上に過酷な運命が襲ったことはあまり知られていない。より過酷であったのは、BC州がイギリス系主流派の白人優位主義のきわめて強い土地柄であり、「黄禍」たるアジア系への差別がより露骨であったからである。その結果、すべての日系人は「敵性人」と規定され、「市民としての権利」を奪われた。徴兵年齢の壮年男子は道路建設などの労働キャンプへ、女性と子供はBC州内陸部のゴーストタウンに急いで造られた収容所へ送られ、家族がバラバラにされた。戦後になってもしばらくは西海岸に戻ることを許されず、その過程で日本へ送還されたり、カナダ全土へさらに分散されたり、日系人コミュニティがほぼ全壊してしまった。Joy Kogawaの Obasan(1981)は、そうした日系カナダ人の戦中と戦後の苦難の歴史を扱う。
語り手のNaomiは、BC州のヴァンクーヴァーに生まれ、当地にて幼少時代を過ごすも、5歳のとき、内陸収容所のひとつに指定された、ロッキー山脈の麓の鉱山町スローカンに追放される。戦後は、ロッキーの反対側の大平原州、アルバータ州の農村グラントンに再度の追放。こうして、海と森と大平原と、カナダを代表する3大風景のもとで、Naomiは幼年時代と少女時代、思春期以降を生きることになる。
本書にカナダの風景が描かれているのは当然だが、それに加えるに、語り手の心象風景をつづった内省的な文章には、地(木や石)、水(雨や雪、地下水)、気(空や風)、火など、古来より万物の根源とみなされた自然界の4大元素が重要なイメージ群として、織りこまれてもいる。カナダの自然描写のなかに、原型的なイメージにかんする宇宙的で内面的、象徴的な描写もあるという2重構造を最初に指摘したのは、Erika Gottliebであったが、本発表はそれをさらに徹底させようとする。読者は、本書を読みすすむにつれて、自然の事物がじつに種々のもの、しかも明らかに結びつくはずのないものに喩えられ、そこに思いがけない類似関係が成立することに、新鮮な驚きと喜びを与えられるのであるが、それはたんに語り手の溢れんばかりの詩的想像力の発露だと済ますにとどまってはならない。また、比喩をたんに言葉を飾るものとだけ考えてはならない。Naomiはなぜ、こうしたイメージを自然に投影するのか、問わなければならない。深い影響を及ぼした体験というものは、その意味を正確に語ることなど不可能である。語られるたびに新しい意味を生みだす。したがって、こういう隠喩に富んだ、複雑な意味をもつ言葉で語ることしかできないのである。
本発表は、Obasan において、カナダの自然がどのように表現されているのか、また、その自然が主人公の内面風景とどのように関係するのか、探求する。故郷追放と強制移動、強制収容、一家離散、コミュニティ解体といった、ディアスポラ的状況を生き抜いた日系カナダ人にとって、カナダの自然はいかなるものであったのか。カナダの過酷な自然は敵対的なままに終ったのだろうか。あるいは、苦難を生きのびた日系人はついに、自然と折りあい、カナダをホームとすることができるのだろうか。
阿部 暁帆 成蹊大学(院)
Tar Baby (1981)と Praisesong for the Widow (1983)は、それぞれToni Morrisonと Paule Marshallという、アフリカ系アメリカ人女性作家によって、ともに80年代初頭に発表された作品であり、この二つの間には多くの類似点が見いだされる。両作品のモチーフに千里眼的要素を含んだ奴隷制時代の伝説が用いられていることは、すでに指摘されているところであるが、脱船や下船から始まる冒頭部分や、導き手としてのやJosephの存在など、そのほかにも随所にみられる。
しかしながら、もっとも顕著であり注目すべき共通項は、作品の主な舞台がカリブ地域に設定されているということである。双方の作品とも、アメリカ国内からカリブ地域へと舞台を移動させることによって、各登場人物に、ある契機を与えることで、プロットが成り立っている。Tar Baby では、アメリカ国内においては立場の違いから出会うはずもなかったSonとJadineが、偶然にもカリブの島で出会い惹かれあうなかで、自己の属する社会を再認識することとなり、また Praisesong for the Widow においてAveyは、グレナダのキャリアークー島に今なお残る、アフリカから来た人々の連帯意識や祖先との繋がり、文化伝承などを通して、アイデンティティーを取り戻すこととなる。SonとJadineが、カリブからアメリカ合衆国へと戻った途端、互いに自分の属するコミュニティへの依拠を主張して不和となる結末や、Aveyらが経済的な成功を収め中産階級の地位を確立した一方で、ハーレムを捨てるとともに文化伝統を喪失するといったストーリーには、いずれも、アメリカ国内におけるアフリカ系アメリカ人の人生の選択手段が、二者択一という限られた状況にあるという局面が見え隠れしている。つまり、二人の筆者は、アフリカ系アメリカ人の主人公に対してアメリカ合衆国と一定の距離を保たせ、カリブ地域の慣習を引き合いに出すことによって、アメリカ国内において現代のアフリカ系アメリカ人が直面する課題を鮮明にしたと言えるのではないだろうか。
カリブ地域に関して「クレオール性(クレオリテ)」の提唱者の一人であるJean は、カリブの島々という限られた地域でのプランテーション経営が、結果としてクレオール文化を生んだのであり、アメリカ合衆国におけるエスニック間の混淆が、とりわけアフリカ系アメリカ人にはあてはまらないことを指摘している。つまり、三浦信孝が指摘しているように、大陸であるアメリカ合衆国ではカリブの「クレオール・モデル」の段階までには至っておらず、そこには「差異主義的人種主義」という障壁があるということを、両作品は示唆していると言えるのである。
本発表では、二つの作品について、カリブ地域におけるSonやJadine、そしてAveyとカリブの島の人々との関係を中心に考察するとともに、彼らのアメリカ合衆国における心理描写とも比較しながら、先に述べた問題について分析する。
石崎 一樹 徳島文理大学
Ragtime (1975) の結末で、ある家族の形が示される。前夫と死別したアングロサクソン系の妻とその一人息子、その妻が養子とした黒人の子供、そして前妻と死別したユダヤ系の夫とその一人娘の5人家族がそれである。J. P. Morgan、Henry Ford、Booker T. Washingtonなどの歴史的人物が介入する物語において、この家族は固有名を与えられずただMother、Little Boy、イディッシュ語で父親を意味するTatehなどと呼ばれる。物語の中心的な存在である彼らを「誰でもない」人物として提示することは、彼らが「誰にでも」なりうる可能性を示すことでもある。20世紀初頭のアメリカでは第一次大戦に向かってアメリカニゼーションへの気運が高まっていたが、Ragtime で描かれるこの家族の形は多文化的モザイク社会の縮図のようでもあり、ここに読者はE.L. Doctorowのロマンティシズムを読み取らずにはいられない。
Doctorowが多文化的理想を描き込んだ20世紀初頭のアメリカにおいて、その理想を実際に生きたのがRandolph Bourneである。彼はAtlantic Monthly に掲載された“Trans-National America” (1916)で人種のるつぼモデルを否定し、各民族集団の伝統的文化への忠誠とアメリカへの政治的忠誠を切り離して考える必要性を説いた。Todd Gitlinはアメリカの多文化的本質を拡大解釈したものであるとしてポストモダニズムに対して極めて懐疑的な立場を取るが、その論理の原型をAlexis de Tocquevilleと並んでBourneに求めている。しかし、確かに現在の多様化する社会の弊害も認める必要はあるが、多文化的な理想図を示すことの意義を否定することはできない。Doctorowの物語においてもその理想は決して無邪気に示されるわけではない。貧しさのなかで居場所を失うTatehの前妻、攻撃を受けた軍需物資を運ぶ船に乗り合わせたMotherの前夫、正義を求めて街を破壊し自ら破滅する黒人ピアニストCoalhouse Walker。これら多くの犠牲が払われた後に示される家族の形は非常に簡潔で形式的であり、現実感がともなわないゆえの理想図とも読める。
Fredric Jamesonは Ragtime を、歴史的過去を示すものではなく“pop history”、つまり過去についてのわれわれの考えやステロタイプを示すものでしかない歴史小説と評している。Doctorowがこれを歴史小説として書いたかどうかは疑わしい。ただ、この作品が「後期資本主義」の論理をなぞるように文学テクストから映画、ミュージカル、インターネットへと翻案され商品化されていることも事実である。本発表においては、こうした現在的な文脈で Ragtime を再読し、歴史性の問題と共に提示されるアメリカ多文化社会の理想像を改めて解釈してみたい。