1. 全国大会
  2. 第45回 全国大会
  3. <第1日> 10月14日(土)
  4. 第8室(55年館7階 571教室)
  5. 4.多文化的理想とアメリカ——E.L. DoctorowとRandolph Bourneをめぐって

4.多文化的理想とアメリカ——E.L. DoctorowとRandolph Bourneをめぐって

石崎 一樹 徳島文理大学


Ragtime (1975) の結末で、ある家族の形が示される。前夫と死別したアングロサクソン系の妻とその一人息子、その妻が養子とした黒人の子供、そして前妻と死別したユダヤ系の夫とその一人娘の5人家族がそれである。J. P. Morgan、Henry Ford、Booker T. Washingtonなどの歴史的人物が介入する物語において、この家族は固有名を与えられずただMother、Little Boy、イディッシュ語で父親を意味するTatehなどと呼ばれる。物語の中心的な存在である彼らを「誰でもない」人物として提示することは、彼らが「誰にでも」なりうる可能性を示すことでもある。20世紀初頭のアメリカでは第一次大戦に向かってアメリカニゼーションへの気運が高まっていたが、Ragtime で描かれるこの家族の形は多文化的モザイク社会の縮図のようでもあり、ここに読者はE.L. Doctorowのロマンティシズムを読み取らずにはいられない。

Doctorowが多文化的理想を描き込んだ20世紀初頭のアメリカにおいて、その理想を実際に生きたのがRandolph Bourneである。彼はAtlantic Monthly に掲載された“Trans-National America” (1916)で人種のるつぼモデルを否定し、各民族集団の伝統的文化への忠誠とアメリカへの政治的忠誠を切り離して考える必要性を説いた。Todd Gitlinはアメリカの多文化的本質を拡大解釈したものであるとしてポストモダニズムに対して極めて懐疑的な立場を取るが、その論理の原型をAlexis de Tocquevilleと並んでBourneに求めている。しかし、確かに現在の多様化する社会の弊害も認める必要はあるが、多文化的な理想図を示すことの意義を否定することはできない。Doctorowの物語においてもその理想は決して無邪気に示されるわけではない。貧しさのなかで居場所を失うTatehの前妻、攻撃を受けた軍需物資を運ぶ船に乗り合わせたMotherの前夫、正義を求めて街を破壊し自ら破滅する黒人ピアニストCoalhouse Walker。これら多くの犠牲が払われた後に示される家族の形は非常に簡潔で形式的であり、現実感がともなわないゆえの理想図とも読める。

Fredric Jamesonは Ragtime を、歴史的過去を示すものではなく“pop history”、つまり過去についてのわれわれの考えやステロタイプを示すものでしかない歴史小説と評している。Doctorowがこれを歴史小説として書いたかどうかは疑わしい。ただ、この作品が「後期資本主義」の論理をなぞるように文学テクストから映画、ミュージカル、インターネットへと翻案され商品化されていることも事実である。本発表においては、こうした現在的な文脈で Ragtime を再読し、歴史性の問題と共に提示されるアメリカ多文化社会の理想像を改めて解釈してみたい。