1. 全国大会
  2. 第43回 全国大会
  3. <第1日> 10月16日(土)
  4. 第9室(8号館2階 822教室)
  5. 1.夢遊病者とその娘のゆくえ——Homebody/Kabul における脱植民地幻想の思考

1.夢遊病者とその娘のゆくえ——Homebody/Kabul における脱植民地幻想の思考

天野 貴史 大阪外国語大学(院)


本発表は、Tony KushnerのHomebody/Kabul において、行方の知れぬ失われた母親を求める娘が、いかにして父親の強力な「幻想」を内破するのかを、ホテルの一室という空間に着目し、考察するものである。

カブールに到着したMilton CeilingとPriscilla父娘は、滞在先のホテルでHomebodyの検死報告を医師から受ける。それは、全身の骨を棍棒で砕かれ、頭皮を剥がされ、引きずり回された挙句に四肢をもがれた酷い有様だが、当の遺体は行方不明である。しかしMiltonは “They ate it” と疑う様子がない。つまり、想像を絶する遺体の有り様は、殺人犯ならびに現地人一般の蛮性を露呈するものであり、遺体の不在は食人の供宴の証左である。さらに彼は、復讐心、裏切り、獣性といった一連のイメージ群を現地人のまわりに張り巡らせることで、彼らを回収不可能な他者として成型=排除しつつ、暗黒の蛮地に足を踏み入れた自身を英雄視する。ホテルの一室は、他者の究極の他者性を浮かび上がらせるこうした幻想が絶えず生産されるその中心である。また、断固としてホテルの「内」に留まり、「外」の否定的な幻想を膨張させる彼は、ドラッグに耽溺した末の夢遊病者として演出される。

幻想への同化を要請するMiltonに対抗して、Priscillaは、「内なる他者」としての自己像を構築する。かつて父が封殺した母の言語変異を彼女は引用する。堕胎の告白により、家族体系の基盤たる「親子」の連鎖を否定する一方、彼女は現地の男女と「養子」縁組を結ぶ。なかでも最も実り豊かな実践は、Miltonにドラッグを供給するQuangoとの性交渉である。実のところ、ホテルの内を満たしている幻想を構造的に支えているのは、Priscillaを角とするMiltonとQuangoの、Girard的な「性愛の三角形」であり、Gale Rubinの唱える「女性の交換」である。だが、この男同士の絆は、それが放逐する「他者」たるMahalaを一つの角とする、PriscillaとQuangoの第2の三角形の出現により崩れ去る。性交渉の引き替えに、Mahalaの出国申請書類を受け取ったPriscillaは、もはや男同士の関係を結ぶだけの導管ではなく、Mahalaの存在を背負う責任ある主体となる。一方Quangoは、自らの署名が記載された書類を手渡すことで、Mahala出国をめぐる現地の政治状況に巻き込まれていく。結果、支配力を失ったMiltonの幻想が雲散霧消するさまは、その後の人物配置から明らかである。

このようにHomebody/Kabul の主題は、「内なる他者」としての主体化を志向するPriscillaの運動であり、幻想に溺れた夢遊病者Miltonを限りなく遠景化したうえで「まったき他者」Mahalaを手前に引き寄せる、遠近法の逆転である。