広島大学 新田 玲子
第二次世界大戦後のユダヤ系アメリカ作家の中でも、Saul BellowやBernard Malamudらが文壇に新風を吹き込んだ大きな要因のひとつは、ユダヤ系移民の貧困体験や、イディッシュ文学に繰り返し登場する愚かな失敗者〈シュレミール〉のイメージなど、明らかに〈アメリカ的でない特徴〉に、道徳性や精神性といった普遍的性質を表象させ、それらがアメリカ合衆国で欠けていたり、軽んじられていることを印象付けた点にある。
しかし、1960年代後半になるとユダヤ系市民の中産階級化が進み、彼らと苦しい移民体験や東欧の貧困生活とが結びつけられにくくなる。さらに、1967年の6日戦争ではイスラエルが圧倒的勝利を収め、パレスチナ人を支配する側に立ったため、ユダヤ人=虐げられる者、苦しむ者、という図式が一層受け入れられ難くなった。実際、それまでは社会的敗者でアウトサイダーという点が強調されていたBellowやMalamudの主人公も、この頃を境に、アメリカ社会の一員としての役目を担うようになる。そしてこの変化に伴い、物質主義的なアメリカ社会との〈差異〉が強調されていた彼らのユダヤ性も薄れてゆくように見える。
しかしここで薄れゆくユダヤ性は、〈アメリカ的なもの〉と対置された、民族性と結びつけられる古いユダヤ性にすぎない。Stuart Hallが“We are all, … ethnically located and our ethnic identities are crucial to our subjective sense of who we are.” (447)と言うような、一人ひとりの個性を作り出す固有な体験という新しいエスニシティの観点からすれば、一見アメリカ社会に溶け込んで見えるユダヤ系作家にもユダヤ性を積極的に活用している例は少なくない。
本シンポジアムではこの新しいユダヤ性が見事な文字芸術に昇華されている例として、BellowやMalamudより若く、ポストモダンの影響も受けているPaul Austerを選び、作家としての彼の基本姿勢が明らかにされる処女長編、The Invention of Solitude (1982)を論じることとした。この作品ではAusterはユダヤ的習慣からの精神的隔たりを繰り返し明示する一方、伝統的なユダヤの〈父から息子への継承〉の構図を作品全体に渡って利用している。この伝統的構図を彼がどのように変容させ、新しい文学表現としているのか、それが作品の表題、〈孤独の発明〉にどう繋がっているのかを分析することで、彼にとってのユダヤ性がどういうものか解明したい。
Hall, Stuart. “New Ethnicities.” Stuart Hall: Critical Dialogues in Cultural Studies. Ed. David Morley and Kuan-Hsing Chen. NY: Routledge, 1996. 441-449.