1. 全国大会
  2. 第47回 全国大会
  3. <第2日> 10月12日(日)
  4. シンポジアムⅡ(東京支部発題)(2号館2階 Ⅱ-203教室)
  5. 黒いモダニズムと政治からの出口

黒いモダニズムと政治からの出口

立教大学 新田 啓子


芸術表現における「人種」が政治的な問題だと、他者を利用し、領有する政治の問題だという認識が定着してすでに久しい。だから本発表では、俗にいう「政治」と多層的に接触し、その言葉を、われわれが(漠然と)想定する「政治」とは全く違った曖昧な、多義的な、矛盾した、無限定なものにまで裁断してしまったのが、モダニズムの「黒」の一つの正体であったことを、つまびらかにしてみたい。

モダニズム芸術が黒人の「方言」で新奇な表現を開拓し、黒人がモダン社会を生きる芸術家として名乗りを上げた時、その背景には、「政治」と「芸術」の一貫しない局面が入り組んでいた。「人種」とは第一に、創作の意匠であれ、作品のモティーフであれ、社会あるいは歴史の流れに葛藤を感じる作家自身が、自己をまなざす遠近法であった。この遠近法を使い、そもそも自己とは無縁であった者たちと親密に交わることは、見慣れた社会の外を展望する芸術的動機を持っていた。既存の芸術モティーフに限界を感じ、自己の意味を渇望する作家たちはつまり、他者を求める前衛姿勢を強めたのである。

だが一方、1910年代には、アメリカはおろか世界の都市で、黒人はもはや他者ではなかった。黒人の存在はむしろ、大衆化・通俗化に拍車をかける近代社会ならではの風景と捉えられ、そう捉えられた時、黒人表象に依存した作品は、逆に日常に馴致した、通俗なものとしか解されなかった。また、折しも隆盛の途上にあった左翼政治は、すでに黒人を、自由と解放の政治的モティーフとしてプロパガンダ化していた。モダニズムに参入した黒人作家の描く黒人像は、どちらかと言えばこちらの流れと合流し、他人種が勝手に描いたステレオタイプ的黒人像からの解放を目指していたのである。

このように大衆性と前衛性、政治性と政治的無関心など、正反対なものが縫合された構図は、いわばモダニズムの本質である。したがって我々は、むしろ一般化不可能な人種表象の発露ではなく、なぜ黒人が芸術表現の切り札として選ばれたのかという根拠の方を、固有に見ていくべきなのだろう。発表ではまず、上に概略した構図を確認するために、アメリカのモダニズムに芸術の新しい方向性を見いだそうとした日本の新興芸術派の言説を見てみたい。すでに「黒人」をモダンな現象と認識したうえで著作を行っていた彼らの言説は、アメリカ作家の「人種的無意識」というブラックボックスに立ち入らずに、人種・芸術・政治の位置関係を確かめる格好の資料である。

だが一方で、何故に黒人はモダンなのか。モダニズムの黒人表象を「政治的」と弾劾するものたちにとって、モダン芸術は、黒人を野蛮に、未開に描くことが許せないとされていたはずである。したがって次には、なぜ黒人がモダン芸術のモティーフとして選ばれたのかを考察したい。特に黒人モダニストの中には、芸術表現は政治への手段と捉えた世代もいたが、黒人と芸術との関係がより深く考察された30年代には、むしろ黒人=政治という通念を変えようとする考えが際立った。ここでは特に、Zora Neale Hurstonの黒人芸術論を中心に、人種・過去・近代の位相を考察してみたいと思う。