1. 全国大会
  2. 第47回 全国大会
  3. <第2日> 10月12日(日)
  4. シンポジアムⅠ(九州支部発題)(2号館2階 Ⅱ-201教室)
  5. 半球思考のグローバル文学

半球思考のグローバル文学

慶應義塾大学 巽  孝之


かつてトマス・ジェファソンは1776年に執筆した「独立宣言」草稿のうちに黒人奴隷制廃止案を盛り込み、時のイギリス国王ジョージ三世が人間性を侵害した悪行のひとつとして、アフリカ原住民を捕囚し「異なる半球での奴隷生活を強いたこと」(carrying them into slavery in another hemisphere)を数えあげた。大陸会議はこの提案を時期尚早と判断し「独立宣言」決定版からは削除したが、にもかかわらずここで表明された「半球思考」は、いまも啓発的である。というのも、それから半世紀ほどを経た1823年には、アメリカ大陸を中心とする西半球が大西洋をはさんだヨーロッパなど東半球の干渉を受けないこと、保護の必要がある以外は他国の植民地化を促進しないことを前提とする孤立主義政策「モンロー・ドクトリン」の雛型が誕生したからだ。この政策は一見ポストコロニアリズムの祖型のようにも見えるが、じつのところ新時代における帝国主義の原型をも兼ねる。こうした発想で、グレッチェン・マーフィのHemispheric Imaginings: The Monroe Doctrine and Narratives of U.S. Empire (Durham: Duke UP, 2005)がリディア・マリア・チャイルドやジェイムズ・フェニモア・クーパーらの深層にモンロー・ドクトリンと共振する政治的無意識を暴き出した考察は鋭い。

このように半球思考を正当化しつつ錯綜させるアメリカ独自の空間戦略を批判するところに、惑星思考の素地がひそむ。かくしてガヤトリ・スピヴァクを批判的に継承するワイ・チー・ディモクのThrough Other Continents: American Literature across Deep Time (Princeton: Princeton UP,2006)は、13世紀のモンゴル人によるバグダッドの古文書破壊とまったく同じことが、21世紀のアメリカ軍によるイラク国立図書館の破壊というかたちで起こっていることに注目し、8世紀もの時の隔たりにもかかわらず一定の因果律を結ぶ「深い時間」“Deep Time”を示してみせた。またゲイリー・オキヒロは最新の研究 Island World: A History of Hawaii and the United States (Berkeley: U of California P, 2008)において、プレートテクトニクス理論の発想から、大陸ならぬ島々から成り立つ海洋中心の考え方を立ち上げている。これらはいずれも「近代的人間」の時空間意識を根底から疑い、「惑星思考」を深めつつ「文学とは何か」を探り直す試みであった。

では半球思考から惑星思考へ及ぶ文学的想像力はいかに発揮されるか。その例証のためにウィリアム・フォークナーが1939年に発表したパニック小説『野生の棕櫚』The Wild Palms とコーマック・マッカーシーが2006年に発表したポスト・アポカリプス小説『ザ・ロード』The Road、シェリー・ジャクソンが2006年に発表したフリークス小説『ハーフ・ライフ』Half-Life を取り上げる。