森 晴菜 大阪大学(院)
Terrence McNallyのDedication or The Stuff of Dreams は古い劇場を舞台とした演劇作品である。McNally作品には「死」のイメージが付きまとうものが多いが、本作品も例外ではない。しかし興味深いのは、本作品では「嘘」が多用され、劇場の神秘性を高めると共にその意義を問いかけている点である。
作品中、ギロチンやダミーをぶら下げた絞首台など、古い舞台装置が繰り返し登場し、「死」のモチーフとして働く。しかしそれ以上に「死」を強く印象付ける存在として登場するのがMrs. Willardである。舞台となる閉鎖中の劇場のオーナーである彼女は、ガンに侵され、余命いくばくもない。劇場の復興を願う人々に対し「演じる」ことは「嘘をつく」ことに過ぎないと劇場・演劇の無意味さと不毛性を主張する反面、病に侵され激痛に喘ぐ彼女にとり、「嘘」は自己の存在を確認する手段、つまり、生きながらえる糧となる。
Mrs. Willardとは対照的に、子供劇場の主宰であるLouは演技を通して観客である子どもたちとの交流を図る。舞台という虚構世界が子どもたちの実生活に影響を与えると信じるLouは、演劇を次世代に伝えるべく劇場の再生を切望する。注目すべきは、そのLouがゲイである点である。つまり、彼が虚構(=嘘)を演じる役者となった契機は、彼のセクシュアリティと深くかかわる。「嘘」、「セクシュアリティ」、そして「再生」のキーワードから、子供を対象とするLouの演劇活動と彼のアイデンティティの模索との関係性が浮上する。
そして最後に問題となるのが、本作品の舞台が劇場だという点である。登場人物の一人、イギリス人Arnoldは舞台となる劇場を指して、“This is your history, America.”と語る。作品中、この劇場の舞台を踏んだ数々の有名人の話が繰り返し話題にのぼるが、ここでは、劇場と歴史(アメリカ史)の関係性を巡る議論から、「死」に瀕する劇場と演劇による劇場の「再生」の意味が導き出される。
以上、本発表では、劇中における嘘と演技、病に侵される身体、演劇人のセクシュアリティとアイデンティティ、そして劇場と歴史との関連性、以上の問題を検証しつつ、本作品の劇場における「死」と「再生」のテーマを読み解いていく。これにより、ゲイ/クイア演劇としてのみ扱われる傾向にあるMcNally作品の新たな読みの可能性を提示できれば幸いである。