ヘミングウェイと大衆・視覚文化
ヘミングウェイ研究において、伝統的なテクスト分析は慢性的な飽和状態に達した印象がある一方、多様な方法論の擡頭により、新たな研究の地平が広がりつつあるのは、衆目の一致するところである。本ワークショップは、雑誌・ジャーナリズム、映画・人種、モダニズム・芸術という、それぞれの発表者の異なる視点から、「ヘミングウェイ」およびヘミングウェイのテクストの再検証に取り組み、歴史的にテクストや批評を貫いてきた、雑多で混沌とした、ヘミングウェイを取り巻くさまざまな力学の綾を読み解こうとする試みである。
- 長谷川裕一は、“celebrity”としてのヘミングウェイの存在を、自ら創刊の過程に関わった男性消費者向け雑誌、『エスクァイア』(Esquire)に掲載されたヘミングウェイのテクストや写真を通して解読することにより、これまでの研究の総括を試みる。具体的には、特定の雑誌のイデオロギーが、一連のテクストとの関係性において生み出す、文化における新たな意味、さらに、作家の「世界観」と広告主の企業が展開する雑誌の「広告」の共謀が、読者に与える影響に焦点を当て検証を行う。
- 塚田幸光は、1930年代、ニューディールによって、砂漠の街に水を引き入れたロサンゼルスの郊外に「リゾート」的風景が出現し、プールの周囲には熱帯の植物が植えられ、砂漠の街が「ジャングル」と化す現象に注目し、いわば幻想のハリウッドの象徴的存在である、このアメリカの中の「ジャングル・プール」が、西欧的枠組みの中の「アフリカ」のイメージそのものを示していることを検証する。本論は、ヘミングウェイが描くアフリカ表象の賛否について論ずるものではなく、『アフリカの緑の丘』におけるサファリと『ターザン』のジャングルを繋げることにより、アフリカに向けられた欲望の背後にある西欧文化と人種意識を逆照射する狙いがある。
- 小笠原亜衣は、ヘミングウェイはパリでモダニズム芸術運動のゴッドマザー、ガートルード・スタインに前衛芸術の洗礼を受けた、というヘミングウェイ研究における常識にまず疑問を呈する。1921年の渡仏以前、スタインへの紹介状をヘミングウェイに持たせた先輩作家シャーウッド・アンダスンが、アメリカの前衛芸術の拠点・写真家スティーグリッツのニューヨークのギャラリーに出入りしていた事実に注目し、すでにデュシャンやピカビアなどダダイストと出会っていたアンダスンを介し、ヘミングウェイが前衛芸術に触れていた可能性が極めて高いことを検証しながら、”neglected short stories”のひとつである「神の手振り」を中心に、「パリ以前」のヘミングウェイと前衛芸術の接点に迫るものである。