ノートルダム清心女子大学 中村 善雄
Henry Jamesが19世紀後半から始まる大量消費社会の諸相を物語る一種の文化史家的側面を有していることは、Jean-Christophe Agnewの “The Consuming Vision of Henry James” を一つの嚆矢として、Jennifer WickeやRichard Salmonといった多くの研究者たちによって、浮き彫りにされている。そして、Jamesはこの新たな時代の様相を、現実的/修辞的レベルの両方において、テクノロジーに関連する語で描き出していることが多い。今回の発表では特に19世紀に実用化された電灯と電信という2つのテクノロジーに注目してみる。
電灯は“In the Cage”(1898)やThe Ambassadors (1903)といった作品において、曖昧な表現ながらも、その存在が認められる。Jamesは後者においてパリの照明を「輝かしい都市の偉大な光」と表現し、Edward Warrenに宛てた手紙のなかでは、パリの特徴として「慢性的な博覧主義」と「光の美」を挙げている。ガス灯から「光の美」と象徴される電灯への移り変わりはパリをいわば光学の都市空間へと変貌させ、The Ambassadorsの主人公Stretherがそのスペクタクル世界に幻惑・翻弄される様子を読み取ることができる。
一方電信は、Richard MenkeがThe American (1877)からThe Ambassadors (1903)にいたる作品群のなかでプロットの形成や通信の点から重要な媒体であると指摘しており、多くの作品で使われている。主にそれは、「国際テーマ」を象徴するかのように大西洋横断ケーブルを介したコミュニケーション手段として使用されているが、一方では電信の有する隠蔽/暴露の両義性に焦点が当てられている。特に、電報を主題とした短編 “In the Cage” (1898)では、女電報技手が電報解読に没頭するあまり、現実/虚構、主体/客体、内/外の関係を曖昧化し、自らが望むスペクタクルな虚構を構築していく姿が描写され、ポストヒューマンへの可能性さえ示唆されている。
本発表では上で挙げたThe Ambassadorsと“In the Cage”を中心に、電灯や電信によって生み出される世界観や、登場人物たちのそうした世界への反応および彼らの意識の変容について考察し、最後にJames自身のテクノロジーに対する観念を探っていきたい。