藤井 光 (同志社大学)
現代文学という分野においては、一次資料へのアクセスそのものは大きな問題とはならないケースがほとんどである。むしろ、日々新たな文学テクストが出版され、amazon.comをはじめとする経路から入手が容易になっているなかで、批評という文脈で取り上げる一次資料を絞り込むことのほうが困難であるかもしれない。さらに、一つのテクストが発する問いが、他の作家によるテクストに接続されるような、批評の側の裁量に委ねられる余地が大きい手法を用いる場合、一次資料の探索と論考はどのような形態のものになるのか。このような点を、実際の例を交えながら検討することとしたい。そうした議論の先に、「現代的」であるとは何を基準とするのか、ということにも踏み込むことができれば幸いである。