関根 路代 獨協大学(院)
19世紀アメリカは「フロンティア」の開拓とともにあり、Walt Whitman (1819-92)にとっても「フロンティア」は重要な意味を持つ。これまでの議論にあるように、Leaves of Grass (1892) には、開拓者の物語や領土を拡大するアメリカそのものが書かれているといえる。そこには、19世紀アメリカが内在していた帝国主義的要素を見ることができ、西漸運動を書いた作品には、男たちの物語が採用されているといえる。批判されるWhitman像がある。
本発表の目的は、Whitman の「大草原」表象を再考することにある。「大草原」もまた、フロンティアの開拓との関連で書かれており、当時の記録のひとつになっている。しかしそれは、フロンティアの開拓を肯定する立場からではなく、批判する立場から書かれているといえる。この主題については、Ed Folsomがすでに詳細に検証している。Folsomは、Whitmanの「大草原」は「デモクラシー」と結びつき、雑多なものを含みながら方向性を失った「若きアメリカ」そのものを描き出しているという。この結論は注目に値し、発表者も賛同する。しかしそれは、「デモクラシー」に固執した見解といえ、これまでのWhitman像を崩すものではない。
Whitmanは1879年9月から翌80年の1月まで西部を旅行しており、その時のことをSpecimen Days (1882)に記している。実際に「大草原」を目の前にして、「大草原」が連邦国家アメリカにとって、またその芸術にとって有益な場所であるということが語られている。「大草原」はアメリカの産業を支える重要な農業用地として書かれている。また、「大草原」がアメリカに固有な自然の風景であることが語られ、アメリカの芸術家は、ヨーロッパの伝統的な芸術様式を追うのではなく、まず第一に「大草原」を書くべきだという。この2点を見ると、Folsomが言うように、Whitmanの書く「大草原」は、アメリカ大陸の自然にヨーロッパとは違うアメリカのオリジナリティーを見いだそうとした、「若きアメリカ」そのものを表しているといえる。しかし、Whitmanは「大草原」に代表されるアメリカの自然を、開拓され、征服されるべき場所とは見ていない。『自選日記』には、ただ資源だけを追い求め、都市を拡大していくアメリカへのアイロニカルな視線を見ることができる。土地の性質を知り、自然と共に生きることが促されている。それは、Henry David Thoreau (1817-62)と通じるものがあり、リージョナリズムへと繋がるものと想定できる。本発表では、『草の葉』に収められた詩と他の散文作品を比較しつつ、Whitmanの「大草原」表象を検証する。