1. 全国大会
  2. 第51回 全国大会
  3. <第1日> 10月13日(土)
  4. 第8室(全学教育棟本館S21講義室)
  5. 3.Sophie's Choiceのエピグラフへの策謀——技法か冒涜か

3.Sophie's Choiceのエピグラフへの策謀——技法か冒涜か

渡邉 教一 弘前学院大学

 

簡略に言えば、アウシュヴィッツ収容所でからくも生き残った一人のポーランド人女性の呵責への気高い殉教が主要テーマと解されるSophie’s Choice (1979)はWilliam Styronが著した600余ページに及ぶ生涯最後の長編物語である。『ソフィーの選択』は、大まかに言えば、わずか28ページばかりの第1章が作品全体のテーマのすべてが凝縮された序章として位置づけられていると解され、第2章から最終章までの約600ページは第1章のテーマを基軸としたいわば二番煎じ的、且つ、厖大な想像の遊びという構造になっていると言える。この点において、『ソフィーの選択』という作品はその仕組み上スタイロンの他の作品には見られない文学的実験の色濃い唯一異端的作品と言っていい。なお、この作品はアメリカ大衆の関心を引き、200万部を突破する大ベストセラーの勢いを見せ、全米図書賞を受けた。

しかし、実を言えば、『ソフィーの選択』がそれほどに名誉ある評価に値する作品と言えるのかが問い直される重要な問題点が見え隠れしていると私は解釈する。つまり、その重大な問題点とは、この作品に施されたスタイロンの策謀を「文学的技法」と解すべきなのか、または道義上の「冒涜」と解すべきなのかという正にスタイロンの作家としての本質を突き詰めることにつきる。いずれにせよ、本論において、このような本作品の評価を左右しかねない重要な疑問点を解明することは至難のわざなのだろうか。

さて、問題になるスタイロンの策謀とは以下の如く『ソフィーの選択』の冒頭にエピグラフとして掲げられたAndré MalrauxのLazare からのフランス語の抜粋文のスタイロンによる英語訳にあると言っていい。

…je cherche la région cruciale de l’ âme, où le Mal absolu s’oppose à la fraternité.

…I seek that essential region of the soul where absolute evil confronts brotherhood.

すなわち、このフランス語の抜粋文の中の“s’oppose” というフランス語の動詞をなぜスタイロンは“opposes” ではなく、“confronts” という英訳にしているのかということである。というのは、この場合、“s’oppose”の英訳として“opposes”ではなく“confronts”を採用すると、マルローの原文の抜粋文の正確な英訳とは言えなくなり、ひいては本作品の全体的なテーマの中の一部を欠落させてしまうことになるのである。いったいなぜスタイロンはあえてこのような初歩的ミスともとれる不可解な英訳を敢行したのであろうか。

結局、仮にこのようなスタイロンによる原文のエピグラフの明らかに誤訳と考えられる不可解な英訳をスタイロン自身が仕掛けた意図的な策謀だと解釈したならば、いったいその狙いとは何なのか。さらには、そのスタイロンの仕掛けた策謀が果たして「文学的技法」と言えるのか、あるいはマルローや一般読者に対する道義上の「冒涜」に値するのか等々を本論において探ってみたい。