宮津多美子 順天堂大学
Twelve Years a Slave は、北部自由人であったアフリカ系アメリカ人Solomon Northupの約12年に及ぶ奴隷体験を綴った作品である。1999年、奴隷制廃止前(1772〜1866年)に出版された英語で書かれた最も面白いslave narrative(奴隷体験記)20作品のアンソロジー(I Was Born a Slave )を編纂したYuval Taylorは、Olaudah Equiano、Frederick Douglass、Harriet Jacobsらの著名なナラティヴとともにこの作品を選んでいる。現代では批評も少なく、作品自体あまり知られていないが、「誘拐」に始まる自由人の奴隷化プロセスを扱ったこの作品は1853年当時、発行と同時にアメリカ社会に衝撃を与えた。誘拐犯罪の被害者となった元自由人奴隷が事件の発端から救出までの詳細を自らナラティヴによって明らかにしたからである。当時市場に溢れていたスレイヴ・ナラティヴと異なるこの作品の特徴は、生還者(逃亡者)が少ない深南部の奴隷制を描写していること、識字能力を持つ自由人の視点で記録していることである。
Harriet Beecher StoweのUncle Tomとの数々の類似点(地理的類似および奴隷体験の類似点等)から、彼はUncle Solと呼ばれ、一時、時の人となった。Northupに作品を献上されたStoweは、同年発行したA Key to Uncle Tom’s Cabinで その誘拐事件を詳しく紹介している。
作品が評価されてこなかった背景には、他のスレイヴ・ナラティヴとの論調の違いや主題の曖昧さがある。例えば、Robert SteptoはNorthupの真実を立証しようとするauthenticating voiceはナラティヴの信頼性を向上させ、社会改革に有利に働いたとしながらも、外部観察者としての詮索的(inquisitive)な視線が作品の位置づけを曖昧にしたと述べている。しかし、北部に帰属する自由人Northupの客観的なヴォイスが、奴隷の知性や人間性を証明しようとした、いわば自己表象そのものを目的とする自伝的ナラティヴ作者らの主観的ヴォイスと異なるのは当然である。その違いは、Northupが自由人と奴隷の境界線を元奴隷作者とは逆方向に超えたという事実によるものであろう。
誘拐による地理的強制移動はアメリカ奴隷制の起源である奴隷貿易人によるアフリカ人の誘拐を彷彿させる。Northupは祖先の運命を辿るように、強制移動によって「人間」から「動産(モノ)」へ、その後、再び「人間」となって自由を手にした。発表では、地理的移動に伴う奴隷化プロセスや当時の人種的規範を明らかにし、自由人と奴隷の境界線を2度超えたNorthupの喪失感から、「境界線」の意味を考察したい。さらに、奴隷制の中で人間性を否定されたNorthupが作品の中で貫いた冷静かつ抑制的なヴォイスから反奴隷制のメッセージを探りたい。