和洋女子大学 佐久間みかよ
ドイツの思想家Carl Schmittは、『獄中記』(Ex captivitate salus: Erfahrungen der Zeit 1945-1947 )で「私はjus publicum Europaeum(ヨーロッパ公法)の最後の自覚的代表者であり、実存的意味において最後の教師・研究者である。私はその終末を、ベニート・セレーノが海賊船で航海したような仕方で経験した」と記している。二つの世界大戦を経てシュミットが自分の国家意識はもはや語れない状態である比喩としてメルヴィル作品を引用していることは興味深い。なぜなら、メルヴィルも、シュミットとは別の意味で語り得ない国家意識を持っていたと考えられるからである。南北戦争後出版したBattle-Pieces は、戦争のドキュメンタリー的作品であるといわれ、またその最後に付された「補足」(“Supplement”)はメルヴィル研究者の間でも批判が多い。しかし、ここには、語り得ぬ国家意識と戦争観を抱くメルヴィルが、真実を語り得ない囚われのBenito Cerenoのように、というより現代的な解釈に従えば、むしろ真実を語り得ないBaboのように表されているのではないだろうか。
現代のレトリックで使う正戦のみならず、聖戦という言葉が疑いなく使われていた19世紀を生きたメルヴィルにとっての戦争とは何であったのか。メルヴィルは、Moby-Dickにおいて、戦争状態を白鯨という敵を相手にするAhab船長に煽動される船員たちの様子として鮮烈に描いた。その後、南北戦争を経験したメルヴィルがあらわしたBattle-Piecesにおいて、戦争と個人の問題は、国家と個人の関係として捉え直され、メルヴィルの国家に対する相反する思いは次第に深まっていくと考えられる。Battle-Piecesは、南部という地域の国民を異質なものと捉えつつ、異質なままに国民国家として想像しようという試みであるといえる。その際、浮かび上がる地域や境界の問題は、戦争の問題と深く結びつき、メルヴィルにアメリカという国家の形態を考察する機会を与えたと思われる。法による支配の問題を描いたBilly Buddは、メルヴィルの国家観の考察の延長線上におく時、帝国的国家の危惧を描いているのではないだろうか。こうした経緯を追っていくことで、メルヴィルと戦争について再考していきたい。