福岡大学 大島由起子
コネチカットの先住民ピーコット族は、英軍によりミスティック砦を急襲されたことから始まったピーコット戦争(1636-1637年)で「絶滅」した。この戦争は小規模ながら、アメリカ合衆国における先住民殲滅への動きを占うものであった。メルヴィルは、Moby-Dick、Israel Potter、Clarel でピーコット族に言及している。本発表ではこの三作をピーコット三部作として主な検討対象としたい。Moby-DickとClarel では、ピーコット族が作品大枠に潜み、復讐の連鎖という主題を担い、両作品にアメリカンゴシック的様相を呈させているようである。Israel Potter では、作者の本部族への同情が窺える。本発表では、三部作として乱反射させることで浮かびあがってくる人種観を探る。
また、Timothy Dwight、Catharine Maria Sedgwick、William Apessといったほぼ同時代の作家のピーコット観と比べてメルヴィルのピーコット観を相対化した後に、メルヴィルの特異性の源を、彼が若き日に訪れた地球の裏側での体験に求めたい。ポリネシアのタイピー族と北米のピーコット族は、いずれも力があり誇り高く、あたり一帯で唯一、白人に従わなかった点、悪魔表象された点が似ている。〈食人種〉タイピー族のただなかで生殺与奪権を握られていた若き日に、メルヴィルは、他のゆるぎない立場の白人観察者とは違う下からの目線を培った。しかもタイピー族の魅力も知ってしまった。そうしたメルヴィルには、〈人種的他者〉を白人に敵対的だというだけで悪魔だとは短絡できず、悪魔表象を疑う目を持つ契機となったのではなかっただろうか。であってみれば、こうした人種観はひいては、フロンティアの向こう側にいる北米先住民への想像力にも影響せずにはすまなかったことを提起したい。