1. 全国大会
  2. 第52回 全国大会
  3. <第1日> 10月12日(土)
  4. 第1室(3号館 3201室)
  5. 1.Billy Budd, Sailor におけるバーク的保守主義の影響

1.Billy Budd, Sailor におけるバーク的保守主義の影響

笠根  唯一橋大学(院)

 

Herman Melville (1819-91) はアメリカン・ルネッサンスを代表する作家であり、超絶主義者の一人であると考えられてきた。そのため、彼の創作のモチーフや彼自身について論じられる場合は、 R. W. Emerson (1803-83) やドイツ観念論と比較されることが多かった。確かに彼の超絶主義的側面を無視することはできないが、 Melville はイギリスの社会思想についても関心があったと思われる。例えばメルヴィルは遺作 Billy Budd, Sailor において、イギリスの思想家 Edmund Burke (1729-97) と同じくイギリスの思想家 Thomas Paine (1737-1809) の間で行われたフランス革命についての論争に言及する (BB 48)。本発表ではこのことを契機として、 Billy Budd における Burke の影響を指摘し、なぜ Melville が語り手を通して作中で Burke 的保守主義に言及したのか、そしてそのことを考察する現代的意義を模索する。

Burke の思想の根幹を成すのは、イギリス王政を擁護する保守主義である。例えば1774年のブリストルの選挙演説で Burke は、一度私が国会議員になったならば、この選挙区の利益のために政治を行うのではなく、国家の利益のために政治を行うのだと述べる。また、彼は Reflections on the Revolution in France において、フランス革命をブルジョアによる主権の剥奪であるとみなし非難し、統治者の主権は "prescription(時効)" により取得され、これを自然法の大きな基本的命令であるとして、国王の統治権が自然法によって保護されていると主張する (Burke 153)。このようなレトリックで Burke は、イギリス王政を擁護する立場をとる。これが彼の保守主義の概観である。

一方、 Billy Budd の舞台が18世紀末に設定されており、作中でも18世紀末がフランス革命の余韻を残す時代であったと述べられること、そして先に述べた Burke と Paine の間の論争への言及を踏まえると、 Burke 的保守主義を念頭に置きながら作品を読むことは有意であると考えられる。そしてさらに注目すべきは戦艦 Bellipotent 号の船長 Vere である。なぜなら Vere は、 "With mankind, ... forms, measured forms, are everything; and that is the import couched in the story of Orpheus with his lyre spellbinding the wild denizens of the wood" (BB 128) と述べており、革命の雰囲気漂う時代においてイギリス国王の名の下に定められた海軍の規律を重視する保守的な人物として描かれているからだ。また Brook Thomas や Thomas Scorza も指摘するように、 Vere はフランス革命を支えた新しい思潮に対して懐疑的であり、イギリスの王権を擁護する人物として描かれている (Thomas 55, Scorza 68-69)。つまり、 Melville は作中で Vere を Burke 的保守主義者として描いていると考えられるのである。

このように Vere 船長が Burke の保守主義を反映させたキャラクターとして描かれるとき、メルヴィル自身の作家的意図、そしてその現代的意義とは何か。 Billy を軍規に則り処罰した後、 Vere はとある戦いで致命傷を負う。その時彼は生死の境をさまよいながら Billy の名前を譫言のように呟く。無垢なる Billy を救うことができなかった後悔からだろうか。しかし奇妙なことにそこには悔恨の響きはない (BB 129)。このことは、物語が単なる寓話ではないことを意味しているように思われる。つまり、そこには Melville の作家的意図がこめられているように思われるのだ。 Melville は Burke 的保守主義を顕著に反映する Vere 船長の死に、厳格な保守主義の末路を投影しているのではないだろうか。そしてそうした保守主義は現代のナショナリズムをめぐる問題と分けて考えることができないように思える。 Billy Budd を論じる現代的意義とは、まさにこうしたところにあるのではないだろうか。