1. 全国大会
  2. 第52回 全国大会
  3. <第1日> 10月12日(土)
  4. 第1室(3号館 3201室)
  5. 2.Billy Budd, Sailor におけるクラガートの死

2.Billy Budd, Sailor におけるクラガートの死

大武  佑 成蹊大学(院)

 

ハーマン・メルヴィルの Billy Budd, Sailor (An Inside Narrative) (1924) は、軍艦ベリポテント号に強制徴募された水夫のビリーを中心に起きた出来事を、語り手が回想する形式をとる。舞台となる時代は「蒸気船が現われる以前」(43)の1797年である。J.ワットによる蒸気機関の改良により産業革命が推進されたのが、1760年から19世紀初頭とされることからも、本作品の背景には、産業革命による社会や経済の構造の大きな変革と、その変化がもたらす不安定な空気が色濃くただよう。ベリポテント号の乗組員達は、この不穏な時代の影響下におかれていたことだろう。本発表では、武器係曹長のクラガートを、大変革の時代の影響を受けた存在であると捉え、彼が迎える不自然ともいえる死について論じる。

クラガートは、 "Handsome Sailor" (43) と呼ばれるビリーに密かな、しかし強烈な嫉妬心を抱いている。この二人を取り巻く物語が進行し、両者の死を招くきっかけとなるのが、ビリーによる「スープこぼし事件」である。スープこぼし事件とは、クラガートとビリーが、言語的、身体的にも初めて接近した場面である。吃音症のビリーと知的能力の高いクラガートとの間には、この事件以前には、言語による交流も身体的な接触もなかった。この「事件」の際も、両者は接近していたにも関わらず、会話という言語の接触に至ることはなく、身体的には、上司であるクラガートがビリーをラタンの鞭で軽く叩くという間接的な接触のみであった。

メルヴィルは語り手の立場から、クラガートという人物を理解するには、間接 (indirection) が重要であると述べている。彼の性質を理解するためには、通常の人間の性質との間に、渡らねばならない「致死の空間」 "the deadly space between" (74) があるのだ。クラガートの周囲に横たわる間隙が、メルヴィルの言う「致死の空間」であるとすると、ビリーは無垢さゆえに、「致死の空間」をスープによって無意識的に横断してしまったのだ。クラガートは、この出来事を契機に、それまで内面に抑えていたビリーへの嫉妬心を表出させ、最終的には自らをも死に至らしめる行動を起こす。彼は、船長ヴィアが "Struck dead by an angel of God" (878) と表現する、ビリーのこぶしの「一撃」による死を迎える。

悪の象徴として描かれるクラガートは、なぜビリーのこぶしによる死という非現実的な結末を迎えたのか。この疑問を、ビリーとクラガートが、両者の間にある「致死の空間」を言葉によってではなく、スープという媒介物によって間接的に接触したということを手がかりに考察する。本作品が書かれた1888年から1898年は、アメリカで資本主義が定着し、それがマルクスなどによる分析の対象になった時期である。資本主義は、技術革新と連動して人々の労働の様式を機械化し、生産される結果との関係を不連続なものにした。資本主義社会における急激な技術革新を背景にクラガート像の新たな側面を探り、彼の死は、行為とその結果との因果関係を構築できない、技術革新の時代における不連続性によるものであるという可能性を提示する。