東京工業大学 上西 哲雄
本発題では、アメリカの映画産業、象徴的にはハリウッドを、アメリカ文学がどのように物語にしてきたかについて検討する。
アメリカにおいては、20世紀への世紀転換期に開発され商業化された映画を巡って、早くも1910年代には映画産業を題材とした小説が登場した。その後映画の製作現場だけではなくてハリウッドという街を舞台にしたものも含めると、映画はアメリカ社会にあって特別な存在として、現在に至るまで扱われ続けてきた。ハリウッドを舞台にした代表的な小説を思いつくままに挙げてみただけでも、Nathanael West, The Day of the Locust (1939)、F. Scott Fitzgerald, The Last Tycoon (1941)、Norman Mailer, The Deer Park (1955)、Gore Vidal, Myra Breckinridge (1968)、Bret Easton Ellis, Less Than Zero (1985) 、James Ellroy, L.A. Confidential (1990)などと枚挙にいとまがない。
本発題では時代を絞って、ハリウッド小説が登場する1910年代から、アメリカ映画産業がひとつの頂点に達する1940年前後までの期間に限って検討する。1920年代後半からのスタジオ・システムの構築でようやく産業としてのまとまりが出来始めたばかりのハリウッドは、まだアメリカ社会にとっては目新しく、それを題材にする作家はそれを、新たに登場したものとして理解し自らのものにしようと格闘していることが作品から生き生きと伝わってくる。ハリウッドを正面から物語にしようとする時代であったと言える。
上に掲げた作品群の中でこのような時代区分に該当する The Day of the Locustと The Last Tycoonのプロットは大まかに言うと、ハリウッドの映画スタジオに生きる人々が、ハリウッドに夢を抱いていたがそれぞれの境遇や事情の中でその夢が破れるというものである。こうしたプロットは、この時代の大衆小説でハリウッドを扱ったものを渉猟しても容易に見つけることができる。さらには、このプロットはアメリカン・ドリームの崩壊というアメリカ文学の定番のテーマに合うことから、アメリカン・ドリームをハリウッド小説の特徴のように扱うことが多い。しかしこの時代のハリウッド小説はすべてアメリカン・ドリームの崩壊に回収できるのか。同時代のハリウッドを扱う大衆小説とこれら二作をひとつにして読み直した時に、共通して立ち上がる映画を語る振る舞いを探ってみる。