北海道武蔵女子短期大学 松田 寿一
ヴァンクーヴァーの詩のニューズレターTISHがブリティッシュ・コロンビア大学 (UBC)の学生Frank Davey、George Bowering、Fred Wahらの手で刊行されたのは1961年のことである。きっかけとなったのは当時UBCで講じていた米国人教授Warren Tallmanが招来した米詩人Robert Duncanの詩や講演、さらにDonald Allen編纂によるThe New American Poetry(1960)を通して学生たちがCharles Olson、Robert Creeleyなどの詩論にふれたことにある。彼らを刺激したのはそれまで一部のカナダ人にしか知られていないPoundやWilliamsに連なるモダニズムの最新の伝統であり、とりわけOlsonを理論的支柱とし、“ブラックマウンテン派”と呼ばれた詩人たちがそれぞれに追究する詩学であった。1963年までに19号、その後断続的に1969年まで出版され、カナダ詩の新しい動きの先駆けとなるTISH誌上の詩やエッセイにはOlsonらの影響が随所に見てとれる。またその間には実際にDuncanやCreeleyをはじめ、多くの米詩人たちがヴァンクーヴァーを訪れることになる。
一方、カナダの文化的ナショナリズムの気運が高まる1960年代から70年代前半はカナダ的なテーマを発見することで、英米とは異なる文学を自己確認する作業がさまざまに試みられた時期である。そのような折にカナダ性の探究からはあえて距離を置き、アメリカから持ち込まれた詩法に倣うTISHはカナダ詩の伝統をないがしろにするとの非難も受ける。Atwood、Michael Ondaatje、Boweringらがカナダを代表する詩人と称えたAl Purdy (1918-2000)もまたTISHの中心メンバーやOlsonらに対する批判者の一人であった。しかし詩の形式は感情の自然な流露によって決定されるとしていた点や特定の場所の感覚を掘り下げ、そのプロセスを自身に固有な言語で表現するなど、PurdyにはOlsonやWilliamsらの主張に通じる部分も多く見られる。従ってTISH批判の要因は彼らの詩学そのものにあるのではなくて、反アメリカ的な政治的心情の反映やカナダに以前からくすぶる国際派に対する土着派の反発の変奏と見えなくもない。しかしながらTISH の詩学の淵源をOlsonやWilliams、さらにイマジズムへと辿るとき、その系譜とは異質なPurdyの姿が浮かび上がる。米詩人の存在をつねに意識し、刺激を受けながらもPurdyの詩にはアメリカ発のモダニズム詩とは相容れない要素が見出されるのである。
本発表では“最もカナダ的な詩人”とも言われたPurdyのTISHとTISHが範とした“ブ ラックマウンテン派”、とりわけOlsonの詩や詩学との違和を探ることにより、カナダ詩史におけるアメリカ詩移入の一面に光を当ててみたい。