1. 全国大会
  2. 第43回 全国大会
  3. <第1日> 10月16日(土)
  4. 第10室(8号館2階 823教室)
  5. 3.Hart Crane の詩の不透明性とセクシュアリティ

3.Hart Crane の詩の不透明性とセクシュアリティ

長畑 明利 名古屋大学


クレインの詩はしばしば「不透明」あるいは「抽象的」であると形容される。実際、彼の詩の多くには、複数の異なる文脈の重置、抽象名詞による普通名詞の代用、オクシモロンの多用、非日常的な概念連結をもたらす隠喩の使用、等位接続詞による不均等な二項の連結、抽象名詞と普通名詞の不自然な連結、倒置あるいは主語と目的語・補語の乖離といった言語使用上の特異性が見られる。こうした特異性を意図的な obscurantism として片づけることも可能だろうが、しかし、クレインにとって、「言語の不透明性」または「抽象性」は、現実の世界を越え出ようとする彼の強烈な「超越」衝動がもたらす結果である。クレインは、日常的・具体的事物の描出を通して超越的な「絶対的世界」に到達するという野心的な詩法を目指していたのであり、その衝動が日常性と具体性を、また、日常言語において用いられる統語法を変容させるのである。本発表では、クレインのこうした超越衝動を、彼のセクシュアリティとその描写との関連から考察する。

クレインは少年の頃、実家を訪れた家庭教師から同性愛を強いられた可能性があり、高校時代にも男子生徒と同性愛の関係にあったとされる。後年の同性愛の経験もよく知られるところである。こうした彼のセクシュアリティの反映を何篇かの詩に見ることはさして困難なことではない。しかし、クレインの詩における同性愛の仄めかし、あるいは、ときにあからさまに見える性行為の描写が、彼のロマン主義的な超越衝動と連動していることを無視することはできない。それらの詩に見られる肉体関係を暗示する言語はしばしば苦痛と苦悶に満ちており、その身体的・精神的苦痛こそは、神秘的な超越的世界への参入のための必要条件なのである。性的な経験とそれに付随する苦痛は、芸術における超越的領域を獲得するための手段なのである。ところで、参入あるいは接近が目指されるその超越的領域は、不透明にして抽象的な言語で描出されている。なぜなら、日常的・現世的な経験世界を超越する領域は、必然的に表象不可能なものであり、それを描き出す言語は「不透明」で「抽象的」にならざるを得ないからである。クレインの詩においては、こうした超越的な領域を描き出す不透明な言語が、その領域への接近あるいは参入を可能にする身体的苦痛の描写と混ざり合う。苦痛を伴うものとされる同性愛の描写は、表象不能な超越的領域への接近を擬似的に表象する言語表現の一部となるのである。

発表においては、“Possessions” をはじめ、同性愛を仄めかすと考えられる身体的苦痛の表現を伴うクレインの短詩の幾つかを採り上げ、上記の指摘を具体的に確認する。時間が許すようであれば、さらに、詩人の性的志向と詩言語の特性との関係について、他の詩人の例とも比較しつつ考察を加えたい。