熊本 早苗 東北大学
Annie Dillard(1945- )は、1970年代から80年代にかけてノンフィクション作品を中心に執筆し、Pilgrim at Tinker Creek で1975年ピューリッツァー賞を受賞した作家である。Ian Bickfordが述べているように、Dillard作品批評では専らPilgrim だけがとりあげられ、作家としての独自性の萌芽が顕著となるノンフィクション二作目Holy the Firm は充分に分析されていない。これまでHoly the Firm は自然界におけるグロテスクな側面のみを強調している作品であると見なされてきたが、Dillard作品のグロテスク性が何を意味しているのかについての分析はまだ発展途上にある。グロテスクという形容は、視覚を通じた美醜の価値観であるだけに、Dillard作品における「見る」行為を分析することはますます緊要であると思われる。Scott Slovicが指摘したように、環境文学に本質的である視覚中心の描写が、Holy the Firm においていかに展開されているのかを考察する必要がある。
本報告では、Holy the Firm における語り手の眼差しというものに焦点をあてながら、その自然描写の方法を分析する。それによって、〔1〕自然を観察する方法に関するDillardの独自性を究明し、〔2〕その独自性によっていかなる自然観が提示されているのかを考察する。すなわち、Dillard作品における、視覚中心主義的な自然描写に着目し、Dillardの自然観を抽出することにより、環境文学におけるDillardの現代的意義を明らかにする。このことにより、視覚中心主義的な環境文学は現代においてどのように展開しているのかを示すことが出来ると思われる。
Dillard作品には、「半透明」なレンズといった、ある種のフィルターを通して観察する描写方法が効果的に用いられている。フィルター・ヴィジョンは、自然という小宇宙を観察する高精度のカメラや顕微鏡の眼差しとしても現れてくる。報告においてはHoly the Firm のフィルターの中でも、特に炎や窓ガラスを通して得られる新しい世界観・自然観をフィルター・ヴィジョンと名付け、その展開を探ってゆく。Dillardは、自然対文明や、生と死のように、諸事象を二つを分けて対極的に捉えるのではなく、それらを半透明化=フィルター化して示している。この方法には、生と死、天と地のように対立的に描く伝統を脱し、複眼的まなざしで複数の真実を表現しようという姿勢が見られるのである。したがって、これまでグロテスクな作家とのみ把握されてきたDillardであるが、実は、そのグロテスクな描写は、残酷の中の美を捉え相対的に真実を捉える眼差しによって為されているのである。