1. 全国大会
  2. 第43回 全国大会
  3. <第2日> 10月17日(日)
  4. シンポジアムⅠ(8号館1階 811教室)

シンポジアムⅠ(8号館1階 811教室)

カリブ、豊穣なる空白

司会
村上 東 秋田大学
講師
清水 菜穂 宮城学院女子大学(非)
アメリカ黒人女性文学における「新たなるカリブ」
飯田 清志 宮城工業高等専門学校
ハーレムからカリブへの視線 —— Hughes、McKay、Hurstonとアフリカ系音楽
宮本 陽一郎 筑波大学
Hemingwayの南西島共和国 —— 文学、革命、観光



三年前ミネソタ州に滞在した折、高級車のテレビ・コマーシャルに Charles Mingus の “Haitian Fight Song” (1957) が使われていることを知り、僕は複雑な気持ちになった。アフリカ系アメリカ人の青年が、その高級車で、老人ホームから愛するおじいさんを救出するという微笑ましい寸劇仕立てだったが、逆に僕をいささか悲しませた。まず、Mingus が公民権運動と Black Diaspora への希望と敬愛を塗り込めた曲が、高級車を乗り回す映像とともに矮小化され、その文化的、政治的生命を終えるとは思えなかったからである。また、昨今見受けられる有色人種の地位向上を象徴する映像だと素直には喜べない自分にもいささか納得のいかないものを感じた。今Mingus が生きていたら、何を思い、どう発言するであろうか。

カリブ海は一般人にとって単なる観光地かも知れないが、いまだにグアンタナモには米軍基地があるし、政情不安が続くハイチでは今年アリスティド大統領が合衆国の圧力もあって亡命を強要された。ぽつん、ぽつんと届けられるカリブに関する情報の断片は私たちに複雑な思いを抱かせる。音楽と文学に関するものであれば、カリブの情報は現在かなりの量を集めることができる。しかし、私たちの認識のなかに大きな空白があると言わざるを得ない。まだまだ知るべきこと、考えるべきことが山のようにある、否、空白は海のように広い。

<バルバドスの便り>がコンコードの哲人に届けられていた時代でも、そして現在でも、カリブの風は、一旦合衆国に陸揚げされると、漂白され、空洞化されてしまう。しかし、Cumbia and Jazz Fusion を遺して他界した Charles Mingus もその一例だが、心ある先達は国境の南や海の彼方を強く意識していた。今回のシンポジアムで私たちは、そうした先達の足跡を辿り、海の彼方を見遣る作業を改めて検討したい。取り敢えずは、私たちのささやかな好奇心と試行錯誤をお見せして、今後展開される議論の叩き台となるものを提供できれば幸いである。


(文責  村上 東  秋田大学)



清水 菜穂 宮城学院女子大学(非)


従来、黒人文学においてさえ、カリブ海諸島出身者は肯定的な人物像として描かれることはほとんどなかった。Ralph EllisonのInvisible Man (1952) に登場する訛りの強い戦闘的民族主義者Rasはその代表的な例である。すなわち、カリブとは黒人文学においても否定的なイメージのほうが強かったといえるだろう。

しかし、近年、特に1980年代以降、主として女性作家によって、それまでとは一変したイメージのカリブが描かれるようになった。Audre Lordeの Zami: A New Spelling of My Name (1982)、Paule MarshallのPraisesong for the Widow (1983)、Jamaica KincaidのAnnie John (1985) 等の作品では、カリブ海諸島は登場人物の自己探求の場やアイデンティティの拠り所として表象される。またToni MorrisonのTar Baby (1981)もカリブ海の島を舞台にした作品である。これらの一連の作品を見るとき、それまで直接アフリカに向けられていたアフリカ系アメリカ人の熱い視線が、カリブ海へ、あるいはカリブ海を経由したアフリカへと、あたかもその方向を変えたかのようである。しかも、これらの作品におけるカリブは単にアフリカ的伝統を色濃く残している故郷というだけではなく、植民地状況をいまだに生きる地であり、そこには近代資本主義経済や帝国主義的侵略に対する批判の視点や、性差別や人種主義に対する鋭い洞察もまた共通して見られる。

このような作品群が生まれる背景としては、米国の社会状況、特に公民権運動が一つの帰結を見た1960年代以後の社会状況が考えられる。たとえば、アフリカ系アメリカ人社会に存在する多様な差異の認識や独立後のアフリカ諸国の現状に対する失望、カリブ系アメリカ人第二世代の作家たちの成長、ブラック・フェミニズムの興隆などが一連の作品の誕生に大きくかかわる要因として挙げられよう。また、何よりも米国のグレナダ侵攻(1983)は、カリブ海諸島に対する人々の関心を一挙に高めたといえるだろう。

本発表では、上に挙げたアメリカ黒人女性作家の作品を取り上げ、そこに立ち 現れる「新たなるカリブ」について考察する。それぞれ独自の世界を持つ作品だ が、共通するのは、各作品におけるカリブの「海」と「島」の果たす役割の重要 性である。「海」と「島」が表象するのは、時間的な継続と断絶、閉じられてい ると同時に開かれてもいる空間、あるいは親密さや暴力性など、まさに豊穣その ものであるといえよう。ここでは、「海」と「島」の表象を通して、「新たなる カリブ」の文学的、社会的、政治的意味を考えてゆきたい。


飯田 清志 宮城工業高等専門学校


カリブと聞いて思い浮かぶのはレゲエやマンボといった大衆音楽である。すでに19世紀半ばから、カリブの音楽のイディオムは、西洋の軽クラシック音楽に借用されて人気を博してきた。また、ジャズの成立にもカリブの大衆音楽やそれ以前のもっと原初的な民族音楽が影響しており、音楽の分野で考えれば、カリブはずっと豊穣の地であった。カリブ音楽は、基本的にヨーロッパの世俗音楽とアフリカ民族音楽との混交で、時間を経るに従い後者の要素が強調されてきた。その意味でポストコロニアル文化の好例であるが、大衆音楽自体が低俗なものとして軽視されてきたことから、真摯な論評が行なわれるようになったのは最近のことである。

アフリカ系アメリカ人による最初の影響力のある人種意識運動となったハーレム・ルネサンスにおいて、黒人大衆音楽を重要な民族的表現ととらえようとした進歩的な作家が何人かいる。

Langston Hughesは、ブルースやスピリチュアルの歌詞に似せた詩を書き、音楽に関するエッセイも数多く、後にThe First Book of Jazz をまとめるに至った。しかし、彼が関心を持っていたのは都市で演奏され、消費されたジャズまたはブルースであり、彼にとってカリブは、エキゾチックな魅力に溢れてはいるものの、本質を知り得ぬ異郷であった。

ジャマイカ出身のClaude McKayにとって、カリブは正に故郷であったが、彼はその出自を強調することなく、マルクス主義に立脚した汎アフリカ主義を唱えた。しかし、彼の長編における音楽的要素を見ていくと、合衆国のジャズとジャマイカの民俗音楽を継続的にとらえ、アフリカニズムを意識した新しい人種音楽の出現を期待していたことがわかる。

南部出身のZora Neale Hurstonは、黒人民族音楽とジャズやブルースの連関を本有的に知っていた作家である。後にカリブに調査旅行に出かけるが、音楽については、感覚的に知っていることを確認する作業であった。一方、ハーレムにおけるカリブ文化の紹介には、民俗文化を舞台芸術として高めようとする意欲が見られ、彼女のアーティストとしての方向性が確認できる。

今回の発表では、異なる地域からハーレムに集い、そこからカリブへと目を移していった3人の作家たちの個性を、カリブを含む黒人音楽文化を係数にして考察してみたい。


宮本 陽一郎 筑波大学


1932年4月12日、Ernest HemingwayはJohn Dos Passosに宛てた書簡のなかで、唐突にキー・ウェスト独立計画について語り始める。電線を切断し、バヒア・ホンダ鉄橋を爆破し、キー・ウェストを本土から切り離して、南西島共和国 (South West Island Republic)の独立を宣言し、キー・ウェストを世界一豊かな自由港にするというものだ。さらに黒人を再奴隷化し、カトリック教徒、プロテスタント教徒、自由思想の持ち主、無神論者、共産主義者、反革命分子を順次虐殺し、Dos Passos夫人を理性の女神に選び、Archibald MacLeishとEvan Shipmanに独立運動を讃える叙事詩を書かせるなど、Hemingwayの妄想は荒唐無稽を極める。しかしこの合衆国離脱幻想は50年後に奇妙なかたちで反復される。

1982年4月23日、キー・ウェストのDennis Wardlow市長は5人の革命分子とともに、マロリー・スクウェアで集会を開き、キー・ウェストの合衆国離脱と「コンク共和国」の独立を宣言する。Reagan政権がカリブ海からの密輸・密入国を防ぐという名目で、国境警備隊に国道1号線の封鎖と検問を命じたため、キー・ウェストの観光産業は大打撃を被り、市長はこれに対する抗議として、コンク共和国独立という奇策を思いついたのだった。1分後にWardlow 「首相」は一方的にアメリカ軍に降伏して、10億ドルの戦後復興支援を要請する。このパフォーマンスは一応の功を奏し、政府はほどなく国道封鎖を撤回する。以後、コンク共和国独立フェスティヴァルは、「ヘミングウェイ・デイ」と並ぶキー・ウェストの重要な観光イヴェントとなる。

HemingwayとWardlow市長の合衆国離脱幻想は、カリブ海の植民地主義と革命の歴史を愚弄するものであり、それゆえにカリブ海を「空白化」する言説の、目に余るケースといえるだろう。しかし同時にそれは、合衆国でありながら合衆国ではない、キー・ウェストの複雑な「エスノスケープ」(Arjun Appadurai)に私たちの目を向けさせる。旅行者、亡命者、外国人労働者、難民の流れによって編成されるこのエスノスケープは、政治的境界線を越えてさらに90マイル沖のハバナにまで曖昧に広がり、まさにそのなかでHemingwayの1931年以降の作家生活が営まれたのである。そしてそれはスロッピー・ジョーズからラ・フロリディータに至る観光資源としての“Papa” Hemingwayの分布図とも重なり合う。

本発表は、帝国主義批判につきまとう合衆国/カリブという二項対立によって空白化されがちな、エスノスケープの豊穣さに注目する。その豊穣さは、観光文化というスキャンダルと切り離すことができない。To Have and Have Not (1937)を始めとするHemingwayの作品は、キー・ウェストのエスノスケープと観光文化の両方の構築に関与するテクストとして位置づけられる。