飯田 清志 宮城工業高等専門学校
カリブと聞いて思い浮かぶのはレゲエやマンボといった大衆音楽である。すでに19世紀半ばから、カリブの音楽のイディオムは、西洋の軽クラシック音楽に借用されて人気を博してきた。また、ジャズの成立にもカリブの大衆音楽やそれ以前のもっと原初的な民族音楽が影響しており、音楽の分野で考えれば、カリブはずっと豊穣の地であった。カリブ音楽は、基本的にヨーロッパの世俗音楽とアフリカ民族音楽との混交で、時間を経るに従い後者の要素が強調されてきた。その意味でポストコロニアル文化の好例であるが、大衆音楽自体が低俗なものとして軽視されてきたことから、真摯な論評が行なわれるようになったのは最近のことである。
アフリカ系アメリカ人による最初の影響力のある人種意識運動となったハーレム・ルネサンスにおいて、黒人大衆音楽を重要な民族的表現ととらえようとした進歩的な作家が何人かいる。
Langston Hughesは、ブルースやスピリチュアルの歌詞に似せた詩を書き、音楽に関するエッセイも数多く、後にThe First Book of Jazz をまとめるに至った。しかし、彼が関心を持っていたのは都市で演奏され、消費されたジャズまたはブルースであり、彼にとってカリブは、エキゾチックな魅力に溢れてはいるものの、本質を知り得ぬ異郷であった。
ジャマイカ出身のClaude McKayにとって、カリブは正に故郷であったが、彼はその出自を強調することなく、マルクス主義に立脚した汎アフリカ主義を唱えた。しかし、彼の長編における音楽的要素を見ていくと、合衆国のジャズとジャマイカの民俗音楽を継続的にとらえ、アフリカニズムを意識した新しい人種音楽の出現を期待していたことがわかる。
南部出身のZora Neale Hurstonは、黒人民族音楽とジャズやブルースの連関を本有的に知っていた作家である。後にカリブに調査旅行に出かけるが、音楽については、感覚的に知っていることを確認する作業であった。一方、ハーレムにおけるカリブ文化の紹介には、民俗文化を舞台芸術として高めようとする意欲が見られ、彼女のアーティストとしての方向性が確認できる。
今回の発表では、異なる地域からハーレムに集い、そこからカリブへと目を移していった3人の作家たちの個性を、カリブを含む黒人音楽文化を係数にして考察してみたい。