1. 全国大会
  2. 第45回 全国大会
  3. <第1日> 10月14日(土)
  4. 第9室(55年館7階 573教室)
  5. 4.アメリカの追求—アメリカ的書物、Arc d'X にみるジェファーソンの遺産

4.アメリカの追求—アメリカ的書物、Arc d'X にみるジェファーソンの遺産

岡本 太助 大阪外国語大学(院)


Steve Ericksonの第四小説 Arc d’X (1993)は、Thomas Jeffersonの小説であると同時に、ある意味Jeffersonに書かれたテクストであるともいうことが出来る。さらには、「アメリカ」とは何かを探る物語である Arc d’X のエクリチュールそれ自体が、ひとつの「アメリカ」を作り出すパフォーマティヴな行為となっている。これらの主張は比喩的なレベルで交差するものであり、歴史上の人物としてのJeffersonと現代アメリカが自己規定のために参照するところの“Jefferson”との違いや、国家としての合衆国と記憶の産物としての「アメリカ」の分裂が持つ意味を、社会・文化現象と文学表現のレベルを往復しつつ論じるための視座を提供するものである。

社会・文化現象のレベルでは、Fredric Jamesonなどが指摘するような、ポストモダンにおける(つまり特に現代アメリカにおいて顕著な)歴史性の欠如の問題を論じる。しかし歴史性のという表現は(Jamesonも言うように)必ずしも適切ではない。例えば、過去を現在とは無関係なものとして切り離し忘却する一方で理想化された過去を捏造するような行為を、非歴史性として定義する一方で、それを における自己の意味づけを行うための歴史化の方策として捉えることが肝要である。こういった歴史意識を、Ericksonのいう「核の想像力」との対比で分析し、さらに現代アメリカにおける“Jefferson”の象徴的意味を確認したうえで、過去・現在・未来の関係をダイナミックに物語化するものとしての、Arc d’X の文学的表現へと議論を進める。

文学表現のレベルでは、夢や記憶の持つ流動性や捉えどころのなさを、Arc d’X のナラティヴの構造を決定する重要なメタファーとして位置づける。その際、まずJefferson自身によるアメリカの創作つまり独立宣言の執筆に着目し、そこに書かれたものとそこから抹消されたものの代補的な関係などの視点から、Jeffersonの「アメリカ」のフィクション性や決定不可能性を論じる。夢の特徴は、あるものの意味がそれ自体では決定されえず、常にそれ以外の何かとの関係においてのみ理解されるというところにあり、Arc d’X の構造もまた夢の論理を反復するものである。また、こことここではないどこか、今と今ではないいつか、自分と他の誰かが夢によって結びつくような構造は、さらに現代アメリカにおける“Jefferson”の受容/需要や歴史意識の構築とも密接に関わっている。本発表では、Arc d’X におけるこうした自己現前や意味決定の先送りを、Jefferson的、アメリカ的なものとして再定義し、「アメリカ」それ自体ではなく、それを追求する行為の持続のうちに生み出される歴史という観点を提示する。