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各支部からのお知らせ


北海道支部
2011/11/14

第155回研究談話会を下記の要領にて開催いたします。どうぞお誘いあわせの上、多数お集まり下さいます様ご案内申し上げます。

 

◆日時:11月26日(土)午後4時〜6時

◆場所:北海学園大学(札幌市豊平区旭町4丁目1番40号)7号館1階 演習室D101

*交通案内:地下鉄東豊線「学園前」駅で降りて3番出口をご利用下さい。

7号館は、地下鉄の上にある6号館から正門をはさんで反対側、平岸通(平岸街道)沿いにあります。

 

▼題 目:「白い血」という檻──Go Down, MosesにおけるIkeの人種的思考

▼発表者:本村 浩二氏(関東学院大学)

▼司 会:平野 温美氏

▼要 旨:

William FaulknerのGo Down, Moses (1942)第六章の“Delta Autumn”の終盤に、Issac [Ike] McCaslinがアメリカ社会で顕在化しつつある、異人種間の混淆と混血について、悲嘆の意を表明する、有名な場面がある。南部の貴族階級出身で、今や老人(73歳)となっている彼がそこで恐れているのは、人種的差異の喪失がもたらす混乱と無秩序である。そしてその喪失は、この老人の独自のロジックによれば、理不尽な森林破壊が引き金となって生じている。

改めて言うまでもなく、彼の、人種的差異の希求の背後には、人種の“purity”の保持という欲望がある。確かに、批評家Thadious M. Davisが指摘しているように、彼の、世襲財産と所有権の放棄は、当時アメリカ全土で広く受け入れられていた“scientific racism”に逆らう行為となっている。しかしながら、そのポジティヴな意味が、“Delta Autumn”の終盤の場面における心境の表白によって、大いに否定されているのも事実である。

さて、本発表は、Ikeを主人公にしている、いわゆる“the wilderness trilogy”── “The Old People”、“The Bear”、“Delta Autumn”──を主に取り上げるが、それらを従来の研究によく見られた型、つまり、主人公が荒野での神秘的なエピファニー体験に基づき、己の家系の罪深い暗部に開眼していくという、ビルドゥングスロマン(社会的、道徳的、精神的成長の物語)として読むのではない。というのも、彼の長い人生の物語には、厳密な意味で「成長」という二文字がうまく当てはまらないように思われるからだ。

この時代の人種イデオロギーに光を当てつつ、むしろ本発表で試みたいのは、“purity”と”hybridity”をキーワードに使いながら、Ikeの生涯を彼自身の身体に流れているとされる「白い血」との闘争の物語として読むことである。もう少し具体的に言うなら、それは、彼が祖父から受け継いた「白い血」の呪縛にとらわれ、如何に自由になれずに、苦悩しているのかを確認することである。

こうした視点からの読みは、「白人」という人種カテゴリーの標準・規範を問うという意味で、近年盛んなホワイトネス研究が提起している問題を多少なりとも共有することになるであろう。