1. 全国大会
  2. 第45回 全国大会
  3. <第1日> 10月14日(土)
  4. 第1室(58年館5階 858教室)
  5. 3.拮抗するレトリック—催眠術・錬金術・ The House of the Seven Gables

3.拮抗するレトリック—催眠術・錬金術・ The House of the Seven Gables

小久保 潤子 広島国際学院大学


19世紀中葉の時代精神は、当時同時多発的に起こっていた文化の激動の状況を抜きにしては語れない。産業の発達、技術革新、大衆文化の興隆(文化のサブカルチャー化)——19世紀の作家たちはこれら同時代の社会的状況、及びそれに付随する文化的不安をテキストの中に織り込んでいった。なかでも南北戦争前のアメリカのエトスを映し出す重要な役割を果たした文化の一つとして、当時隆盛した一連の「擬似科学」は見逃せない。

Hawthorneの研究史において、彼の擬似科学、とくに催眠術と錬金術への関心の高さはしばしば指摘されてきた。Hawthorneは催眠術と錬金術両方のレトリック(言説)を利用するなかで、両者を差異化し、その特質をプロットに反映させていると考えられる。そして、この使い分けにはセクシュアリティの問題がおおいに関連しているように思われる。本論では、Hawthorneのテキストの中で催眠術と錬金術のメタファがどのように機能しているのか、なぜそのような使い分けがなされているのか、さらにそれらがプロットにどう作用しているのかを考察する。ここでは特に、The House of the Seven Gables の疑似科学者/観察者的人物であるHolgraveと彼の志向対象もしくは「重要な他者」であるPhoebeとの関係を表象する際に用いられるレトリックに注目してみたい。その際、1850年代初期に書かれた他の作品と比較することで、催眠術と錬金術のレトリックの差違化によって織りこもうと目論まれている「言説」が浮かび上がるはずである。

催眠術に対しては、Hawthorneはアンビヴァレントな感情を抱き続けた。一方で他者/対象を自由に操る力を持つ催眠術の危険性を熟知していたため、それを嫌悪し脅威を感じていた。しかしながら対象・他者を自由に操る力を持つ催眠術師に憧憬の念を抱き、作家としてそのようなコントロール力を読者ないし他者に対して持ちたいという願望があったというのもまた否めない事実であろう。それゆえ、テキスト内の催眠術師的人物は完全な悪人というよりはジレンマを抱え込んだ人物として表象されている。ただ問題となるのは、催眠術師は通常男性で、その施術を受けるのは大抵女性であったというジェンダー化された構造である。この関係は、催眠術がジェンダー化された構造を持っているがゆえに、一種のエロスを孕むことにもなる。Hawthorneが催眠術に対して過度の嫌悪と不安を抱いていたのはまさに催眠術が持つエロティシズムに由来しているからだといえよう。

Hawthorneのテキストにおいて、読者/他者を魅了する力として必要されながらも、セクシュアリティの不安をも喚起する催眠術に対するジレンマを解消するために、まさしく有効に作用するのが錬金術の言説であったと考えられる。1850年代初期の作品 ( The Scarlet Letter、The House of the Seven Gables、 “The Golden Touch” ) にはそれぞれ催眠術と錬金術のレトリックが並存している。分析を通じ、テキスト内で催眠術のレトリックと錬金術のレトリックは、拮抗しながら最終的に前者から後者へのシフトが示唆されていることを明らかにしたい。

Hawthorneは擬似科学そのものを否定したのではないが、セクシュアリティに関して不安を感じさせる場合、批判した。セクシュアリティに関して不安定な文化において、また表面上はセクシュアリティを隠蔽しなければならないという文化的エトスを反映して、物理的な男女の接触を想起させる催眠術ではなく、精神的な融合を示唆する錬金術のレトリックを最後には肯定したと考えられる。