田村 恵理 お茶の水女子大学(院)
Hemingway作品の多くにおけるcharacter同士の関係には性的なタブーが大きな影響を与えており、その違犯への憧れが「異文化」社会への描写に執拗にあらわれてくる。更にその憧れの深層に、characterの持つ「喪失したはずの直接性へのmelancholy」を読み取ることができる。Hemingway作品のcharacter構成を概観するうえで重要なこの点について検討するため、以下の3点に大きく分けて発表をおこなう。
I. Melancholy
異文化として扱われるコミュニティーにまつわる描写に注目し、そこに潜む書き手のmelancholyをFreud、Lacan等の精神分析理論を使用して読む。“Fathers and Sons”、 “The Battler”、True At First Light 等、IndianやAfricaにつながる人間関係を扱ったものを中心に分析する。これらの社会は「象徴界以前の直接性を持ったもの」としてとらえられている。そして、主人公はその直接性を「かつては持っていたのだが喪失してしまった」と思い込んでおり、その回復を求める態度がテクスト上に抑圧されたかたちで残されている。これらの社会の描写において犯されるタブーincestとhomosexualityに着目し、その目撃者となる主人公がとらわれる禁止の法の構造を考え、その抑圧に対する昇華が、長編作品やNick Adams Storiesをはじめとした多くの作品におけるヒロインの表象とそれを取り巻く人物関係に及ぼす影響を考える。
II. A Sense of Loss
I.で無意識的に憧れの対象となる直接性が意図的にgrotesqueに描かれていることに着目し、喪失の感覚に関してvirginity、信仰の問題と絡めて考察する。I.で扱った作品に“An Alpine Idyll”、 “God Rest You Merry, Gentlemen”、 “The Gambler, the Nun, and the Radio”も加えて考える。信仰が直接性を阻む一つの大きな要因として働いている構造を明らかにする。
III. Fantasy
これら異文化社会へのまなざしに含まれるfantasyをpostcolonial的な視点から考察し、この観点から見た場合におけるHemingwayのもろさを指摘する。禁止の法への違犯にあふれた異文化社会の描写が、あくまでも他者の目から見たfantasyの域を超えるものではないということなのだが、同時にむしろその域を意識的に超えまいとしている態度についても分析する。作品における異文化社会の存在意義に関して、直接性へのmelancholyの観点からも考えを加えることで、postcolonial的な視点のみで批判して終わる従来の批評から一歩進んだ展開で考察する。