1. 全国大会
  2. 第47回 全国大会
  3. <第1日> 10月11日(土)
  4. 第9室(1号館4階 I-409教室)
  5. 1.Derek Walcottが描く新しいカリブの女性像

1.Derek Walcottが描く新しいカリブの女性像

松田智穂子 一橋大学(院)


英語圏カリブのセント・ルシア出身であるノーベル賞受賞作家Derek Walcott (1930-)は詩“Egypt, Tobago” (1979)と戯曲A Branch of the Blue Nile (1983)において、Shakespeareの悲劇Antony and Cleopatra (1606-07)を題材にしている。ただし、クレオパトラの表象は両作品で大きく異なる。前者が年老いたAntonyが作者自身のペルソナとして登場し、恋人については名前すら言及しない。それに対して、後者は、トリニダードの小劇団がシェイクスピアをカリブ風に書き換えた作品を稽古する様子を描く物語であり、クレオパトラ役を演じる黒人女優Sheilaに全編にわたって光が当てられる。シーラは、自分はクレオパトラ役を演じるには肌が黒すぎると悩み、英国流の発音を使うように指示する白人舞台監督とは衝突する。しかしながら、男性の演劇仲間たちがニューヨークやロンドンといった白人中心主義の劇場で失敗するのを尻目に、ついには、第一世界の演技方法にとらわれることなく自分自身のクレオパトラ像を発見する。このような葛藤は、独立後のカリブが、植民地時代の遺産であり、かつカリブ文化にすでに根を下ろしてしまった英語と英文学にどのように対処すべきなのかという問題を提起する。

批評家たちはこれまで、本作品におけるシェイクスピアの影響にだけ注目してきた。本発表では、クレオパトラ役を演じようとするヒロイン・シーラに注目しつつ、独立の機運が高まり始めた第二次大戦後から本作品が上演された1980年代までの英語圏カリブにおける実際の社会的コンテクストを分析する。それにより、シーラがシェイクスピアによるクレオパトラ像ではなく、西洋文化の中で二千年間にわたって他者として書き換えられてきたクレオパトラ表象の系譜に連なることを明らかにする。その上で、シェイクスピア作品に範を取るのではなく、それを越えてカリブの新しい女性像を描こうとする男性作家ウォルコットの試みを示したい。

ウォルコットはエッセイ“Meanings” (1970)において、原始的な演劇形態の中に見いだした「男らしさ」(Virility)をカリブの現代演劇を発展させる上での重要なキーワードとし、それゆえ女性は不要であると唱えた。だが、A Branch of the Blue Nile における新しいクレオパトラ像は、聖母か娼婦かといった蔑視的な類型にはあてはまらない。クレオパトラの記号的変遷を明らかにしたMary Hamerによれば、クレオパトラを時代によって書き換える作業は、女性が男性の社会領域に踏み込み、その定義を問い直すことである。ウォルコットがシーラの物語を通してカリビアン・クレオパトラの誕生を示したこと、およびシーラの職業女優としての活躍を描いたことは、1970年の女性不要論を撤回し、カリブ女性の存在を捉え直したと考えられる。これまでの研究では、ウォルコットは、フェミニストの立場をとるElaine SavoryやBelinda Edmontonから女性蔑視や男性中心主義との評価を受けてきたが、実はカリブにおいて1980年以降に顕著になった女性の社会進出を目の当たりにして、女性にも理解を示すようになったことがこの作品から読み取れるのである。