辻 秀雄 関東学院大学(非常勤)
本発表はハーレム・ルネッサンスの作家の一人、Wallace ThurmanのInfants of the Spring (1932)を取り上げ、Thurmanの革新的な言語実践に焦点をあてる。具体的には、ハーレムの若いアフリカン・アメリカンの芸術家たちの浮かれ騒ぎを描く本小説が内容およびその言語実践においてHemingwayのThe Sun Also Rises (1926)のパロディとなっていることを論証していく。同時代の白人モダニスト作家Hemingwayが完成させたとされる簡潔でタフなハードボイルド言語がアフリカン・アメリカンのクイア作家、Thurmanによってどのように換骨奪胎されたのか。彼のブラック・ハードボイルドあるいは「スウィートブラック・ハードボイルド」のスタイルはどのように理論化しうるか。
Infants of the Spring は、第一に、ハーレムの若きアフリカン・アメリカンの芸術家たちが才能をいかに浪費していったかを描いた小説として読むことができる。しかしながら、本小説における主人公Raymondの懐疑的な風刺の態度、さらに、The Sun Also RisesのJake Barnesのそれにも酷似する彼のハードボイルドな言語に注目するならば、一部の才能ある黒人指導者が人種全体の地位を向上させることを目指す当時の支配的な言説に対する戦略的抵抗を、そこに読み込むことも可能だろう。Thurman自身がHemingwayをパロディ化することに意識的だった様子は、The Sun Also Risesへの直接的、間接的言及がInfants of the Spring中に散見されることからもうかがえる。例えばRaymondは、“I’m one of Gertrude Stein’s lost generation . . . or rather post-lost generation”と広言してはばからないのである。こうした記述をたどることで、Hemingwayのハードボイルドな言語が集団的なアイデンティティよりも個人の自由な生き方を称揚するThurmanの戦略に有効であったことを論じていく。
しかし、同時に重要なのは、Hemingwayのハードボイルド・スタイルが持つ男性性がThurmanにおいて「骨抜き」にされる点である。例えば、批評家Stephen Knadlerは、男性性をことさらに強調して白人優越論的な人種差別言説に真っ向から挑戦した多くの二〇年代ハーレムの男性作家たちと、そうした姿勢に対するオルタナティヴとしてクイアな曖昧性を提示したThurmanの想像力を対比させ、後者を“sweetblack style”と名付ける。Knadlerの指摘は、Raymondの駆使するハードボイルドな言語が人種の境界を越境すると同時に、当時のアフリカン・アメリカンのコミュニティにあって一層強制力を持っていた異性愛の規範にも挑戦する可能性を前景化する。
Thurmanの言語実践はHemingway的なハードボイルドをブラック・ハードボイルドにもスウィートブラック・ハードボイルドにも変容させる。そしてこのことは、白人モダニストHemingwayが完成させたとされるそのハードボイルド言語の起源の多様性をも示唆するだろう。