里内 克巳 大阪大学
混血の作家Charles Waddell Chesnuttが1900年に上梓したThe House Behind the Cedars (以下HBC )は、二段構えの構成をとった長編小説である。まず作品前半部では、白い肌を持ちながらも「黒人の血」を譲り受けたヒロインRena Waldenが、「白人」としてパッシングすることで、南部の上流社会で成功しようとする。次いで後半部では、やはり自分は「黒人」なのだと思い定めたRenaが、教師として南北戦争直後の黒人児童の教育に身を捧げようとする。いずれの場合も彼女は幸福をつかみ損ね、浅黒い肌をした母の住む「杉に隠れた家」に意識を失って運び込まれる。そして、彼女に思いを寄せて駆けつけた白人青年George Tryonが、家の中に入ることなく佇む描写も反復される。ヒロインの死で締めくくられる恋愛ロマンスの体裁をとるHBCは、二枚折り絵画のような様式性を備えているのである。
しかし、このように二つに切り分けられた物語のいずれにも属さない章がある。それは小説のちょうど中間に置かれた第18章“Under the Old Regime”である。ここで語り手は物語の時間を遡り、旧体制すなわち奴隷制が敷かれていた頃に「杉に隠れた家」でいかなる出来事があったのか、という経緯を説明することになる。従来の批評において、やや異質な文体で書かれたこの章は、あまり重要でないフラッシュバックであると片付けられてきた。近年のChesnutt再評価に大きく貢献したWilliam L. Andrewsは、例外的に18章に注意を向けているものの、この章がRenaの母Mollyを主軸にした話だと考える点で不満が残る。実はMollyを中心に話が進められるのは、章の最初の部分だけであって、その後はRenaの兄でやはりパッシングをするJohnに、次いでRenaの幼馴染であり黒い肌をした職人Frank Fowlerへと焦点が移動していく。単線的に進む「物語」ではなく、むしろ「人物スケッチ」集成として捉え直したとき、この章の小説全体における重要な役割が見えてくる、というのが発表者の考えである。
本発表では、問題の18章で取り上げられる人物(Molly, John, Frank)の記述を精読し、それぞれにスポットライトを当てることでHBCという小説全体がいかなる様相を示すのかを検討していきたい。特に、差別的なステレオタイプに準拠した脇役と見なされがちなFrankに関しては、念入りに検討する。そのような作業によって、“Under the Old Regime”の章が小説の特異点であるどころか、逆に中心点であることを示してみたい。更にはそれを手掛かりとして、世紀転換期において激しくたたかわされた「人種」や「階級」をめぐる議論のなかで、HBC ひいては作者Chesnuttがいかなる位置にあるのか、という問題について新しい考えを提示する予定である。