小久保潤子 愛知淑徳大学
1852年に出版されたNathaniel HawthorneのA Wonder Book for Girls and Boysはギリシア神話を子供にわかりやすく語り直した挿話を一冊にまとめたものである。児童文学であるため、それまでに書かれた短編、長編に比べ、一見シンプルな内容のこの作品には、そのシンプルさゆえによりわかりやすい形で書き手の思想や書かれた時代の諸言説が反映されており、モラルを教える/言説を刷り込む媒体としてのテクスト=authority/典拠を理解するための手がかりとなるはずだ。
序文には「(神話は)不滅であればこそ、いつ、いかなる時代が、それらの神話にその時代固有の形式と感情の衣を着せ、またその時代固有の道徳を吹き込んでも、一向差し支えない」と書かれている。この考え方に基づいて語り直された挿話には、それぞれギリシア神話をオリジナルとしながらいくつかの点で重要なアレンジが施されている。「空想の赴くままに時に改変を加え」られたのはどの点か、またどのように変更されているのだろうか? この点を比較分析することは、アンテベラム期の文化的状況、および当時台頭してきた中産階級の特色や言説/モラルについて考える上で重要な手がかりを与えてくれる。
たとえば“The Gorgon’s Head”では艱難辛苦に耐えて目的を達成するというアメリカ独立期以来の成功神話への強迫観念を透かし見ることが出来る。また“The Miraculous Pitcher”には正直に働くものが報われるというピューリタン的労働観が現れている。
これらの諸言説を効果的に子どもに教え込む媒体として作動するのが語りであり、期せずしてテクストの戦略となっているのではなかろうか。A Wonder Bookは入れ子構造の形をとっており、物語集全体の語り手(視点的人物)とは別に、登場人物の一人/Eustace Brightが子ども達にギリシア神話の再話を創作し、語って聞かせる語り手として設定されている。特に、語り手/Eustace Brightと聞き手/子ども達の間の双方向的なやりとりが展開される「イントロダクション部分」と「批評部分」がそれぞれの挿話につけられている点に注目すべきである。
語りの戦略がモラルの教育とどう関わるかを考える際、両者をつなぐキーワードとしてauthorityの問題が浮上する。序文の中で2回使われる大文字の“Author”という語からは、創造者たる作家としての強い自意識が窺われる。同時に、語り手から書き手に移行するところに、モラルを刷り込むテクストを教育媒体として定着させ、authorityを目指す語り手の野心が現れていると考えられる。〈聞き手(読者)の要請によって語り手(書き手)が物語をつむぎ出す物語〉を、A Wonder Book全体を統括する語り手が進行させながらテクスト化していく過程において、authorityの位置づけがどう変遷していくかについても考察したい。