杉本 裕代 筑波大学(院)
Herman Melville のPiazza Tales (1856) は、彼の代表的な短編を収めた本として有名だが、 “Benito Cereno”や “Bartleby”、“The Bell-Tower”等が、いわば“シングル・カット”されて盛んに論じられてきたのとは対照的に、巻頭に掲げられ、そのアルバムタイトルとも連動している作品 “The Piazza”が中心的に論じられることは意外に少ない。
本来piazzaとはイタリア語で「広場」を意味し、アメリカでは住宅に設置されるベランダ、ポーチを意味することは良く知られたことだが、そもそもこうした意味のギャップはどのようにして生まれたのだろうか?本発表では、この差異を、イタリア建築文化のアメリカにおける読み替えの契機として捉え、人々が集い語る政治的・文化的空間piazzaが、海を渡り、建築においては古典主義復興期にあるアメリカの住宅に設置された小さなポーチとなってどのように機能していたのかを考察する。それによって、この作品に登場する政治制度をめぐる言説に分析を加えながら、人と人が集うこと、あるいは他者と出会うことがMelvilleにとってどのような意味を持っていたのかを検討したい。
アメリカのpiazzaを検討するためには、イギリスで受容されたpiazza形式と比較してみると分かり易いだろう。17世紀に再開発されたコヴェント・ガーデン・ピアッツァは、市場として形成されたものの、その直線的な様式自体は、市民の支持をあまり得られず、piazzaという建築様式は衰退し、かわりにスクウェアーと呼ばれる空間がロンドン市内に登場するようになる。一方アメリカでは、piazzaは憩いの場所であると同時に、来客を迎える機能も併せ持ち、私/公的領域の両方が混在する場所として、アメリカ住宅建築の中に定着していく。 “The Piazza”の本文中において、主人公が “A piazza must be had.”と語り、わざわざ自分の家にpiazzaを増築することから考えても、piazzaという空間が主人公にとって、そしてこの短編集にとって、作者の立場を指し示す文化的指標となっていることは確かだろう。
Melvilleと家庭文化を論じる時には、例えばディコンストラクション批評がPublic/Privateの二項対立から、外部の世界と家庭とを区別する力がテクストに現れていると論じたように、専ら外部の世界、つまり大海原や密林あるいは資本主義社会などが引き合いに出され、その批評の主眼となってきた。しかし、冒険から帰還し、生涯のほとんどを勤め人として生活したMelvilleが、家庭風景を単に排除の対象としてしか考えなかったと片付けてよいのだろうか?作家の想像力は、常に遠く離れた不思議な世界だけを見つめていたのだろうか。主人公はpiazzaを飛び出して、摩訶不思議な景色の中へと分け入ってfairy-landを探し出すも、再びpiazzaへの帰還を選択して、“I stick to the piazza. It is my box-royal”と語る。住宅建築と空間解釈の問題からこの作品を分析することによって、新たなテクスト解釈の可能性を探り、Melvilleが当時の社会をいかに観察し、生きていたかを論じてみたい。