大島由起子 福岡大学
本発表では、Billy Buddを同時期の詩作品(厳密にはBilly Buddを含め数編は散文との混交)との関連で読む。
最晩年のHerman Melville(1819-91)の創作欲には瞠目すべきものがあった。彼は表現者として挫けず、運も彼を見捨てなかった。彼はThe Confidence-Manで挫折して長編小説の筆を折ってからも、命尽きるまで寸暇を惜しむように読書と執筆に勤しんだ。そうして私家出版されたJohn Marr(1888)やTimoleon(1891)に収められた詩、および遺稿として残された詩作品は、Melville には珍しく、出版社からの規制を意識しなくてすむものであったはずである。
こうした最晩年の作品については、昨今、徐々に研究対象とされるようになった。とはいえ、依然、高邁な詩や美学関連の研究が主であるといえよう。いきおい、異教的な大らかさ、エロスは等閑視されてきた。しかし、作者は南海を舞台とした初期の作品のみならず晩年の幾つかの作品でも、いわばプリコロニアルを忍び、老いてなお、西洋近代に対する反逆精神を保っていた。
Melvilleについて決定版ともいえる伝記を書いた批評家Hershel Parkerは、Billy Buddを晩年の詩と併せ読む必要性を説いたが、いまだ、それに応える研究は出ていない。Billy Buddはなるほどメルヴィル・リヴァイバルの契機ともなった傑作とはいえ、この作品を突然変異とでもとらえない限り、Parkerの要請は尊重すべきであろう。
Billy Buddにはいくつも謎が残っている。例えば、処刑時の空の美しい描写により、語り手がBilly Buddにキリスト昇天のイメージを与えたし、仲間の水夫たちはBillyの無実を信じ、Billyが処刑された桁木を十字架とみなして、その切れ端を各々が大切に持ち、流行り歌ではBillyが従軍牧師に感謝する詩行をつけた。しかし、当のBillyはといえば、処刑前夜に牧師に諭されても改宗せずに異教徒として死んでいったのである。よって、異人としか言いようのないBillyをそう簡単にキリスト教に回収してよいものかという疑問が残る。
発表ではその答えを探るべく、 “John Marr”、“The Archipelago”、“The Enviable Isles”、“To Ned”、“Syra”、“Herba Santa”、“Rip Van Winkle’s Lilac”といった、注目されることが少なかった作品にMelville最晩年の境地を探る。それらを念頭にBilly Budd を読み直したい。