瀧口 美佳 立正大学(院)
Washington IrvingはSamuel MitchellのThe Picture of New York(1807)をパロディー化したA History of New York(1809)で一躍脚光を浴び、アメリカ文壇では作家としての地歩を確立して世評を得ていたが、イギリス文壇においてはまだまだ無名に近い存在であった。Irvingはイギリス逗留中の1817年夏、父祖の国スコットランドに向かうことになる。最大の目的はかねてより敬愛する作家Walter Scottとの面会の機会を得ることであった。
Irvingがイギリスの文学およびその文化の影響を強く受けた作家の一人であることはいろいろな批評家たちによって指摘されているが、中でも特に強い影響を受けた作家としてWalter Scottが挙げられる。この〈文学的巡礼〉とも呼ぶべきスコットランドへの旅はIrvingの独自の文学形成とその後の展開に深く寄与することとなる。The Sketch Book(1819-1820)の中で語り手Geoffrey Crayonが述べる結婚観や日常生活の描写には、Scott邸訪問記“Abottsford”に見られる叙述と強い類似性が認められる。すなわちScottとの邂逅がThe Sketch Book誕生の要因になったと言えよう。
自らの文学的人生をエッセイの執筆で出発したIrvingは、Scott邸訪問後にスケッチ風短編集を数編出版し、さらにはスペイン滞在を経て、歴史・紀行・伝記文学など様々な分野で文学的才能を開花させることとなる。その経緯には詩から歴史小説・伝記文学へといったScottが辿った文学的足跡の影響が多大に表れていると考えられよう。またIrvingはThe Sketch BookやBracebridge Hall(1822)においてイギリスの古き風俗風習を好んで取り上げているが、過ぎ去った時の流れに潜むロマンティズムを標榜するIrvingの文学にとって、広く文学を知り抜いているScottとの邂逅は文学的観点から見ても最も意義深い出来事であったと言えるのではないだろうか。
本発表では、最初にScottとの邂逅の経緯を検証する。そして、二人の語らいを通して、Irving文学の根幹がScottから授かった文学的知見や叡智に支えられていたことを考察し、Scottからの示唆が、どのようにThe Sketch Book の誕生やIrvingのその後の文学的足跡に影響を及ぼしたかなどについて論じてみたい。