名寄市立大学 小古間 甚一
1870年代に生まれたドライサーとロンドンには共通点がいくつかある。彼らは共に1890年代に作家修業時代を迎え,1900年に本格的な作家デビューを果たした。労働者階級出身の2人は,貧しき者たちに視線を投げかけ,資本主義社会の諸問題を小説に描きこんだ。しかしながら,彼らのことを調べていくうちに興味を持ったのは,ドライサーとロンドンの作家業である。特に,デビュー後の10年間を見ると,彼らは対照的な作家人生を送っている。彼らの作家修業時代とも言える1890年代は,アメリカ作家による小説の商品価値が高まり,市場で売れる文学を出版社が求めるようになった時代であり,作家が,富と名声を手に入れることができる,男性にとってのあこがれの職業になった時代でもあった。「雑誌というのは商業主義で動いている」と喝破するロンドンは,成功を求めて果敢に市場への接近を試みた。東部の文芸雑誌Atlantic Monthly で短編作家として本格的にデビューした後,短編や長編を毎年発表し,「アメリカ文学で初のミリオネアー作家」となる。他方,ドライサーは成功を求めて市場への参入を試みながらも,Sister Carrie の売れ行きがいまひとつ振るわず,神経衰弱に罹る。その後,雑誌の編集などの仕事に就きながら第2作を世に出すまでに10年以上の歳月を費やすことになる。小説を書くという行為は,商業主義にとらわれない芸術活動なのか,それとも商品を生産する労働なのだろうか。小説をどのように文学市場に出すか。作家と市場とはどのような関係にあるべきなのか。1900年に作家として本格的なデビューを飾ったドライサーとロンドンは,文学市場と作家業の問題に絶えず直面しながら,作家としての道を歩んでいくことになった。発表では,まずは,1900年代から1910年代半ばぐらいまでのドライサーとロンドンの作家人生に焦点を当てて,当時の文学市場と彼らの作家業について話をしてみたい。そして,文学が商業化されていく中で独特の芸術至上主義を貫くことで市場の力に対抗していったドライサーと,名前を売ることで市場での力を獲得しようとしたロンドンという比較を通じて,最終的には,作家業についての伝統的な概念までも崩していったロンドンについて報告することになると思う。