早稲田大学 石原 剛
文学史はいかなる評価をトウェインに与えてきたのか?本発表では,この素朴な問いに時間の許す限り答えていきたい。論じる対象は20〜21世紀にアメリカで出版された以下の文学史を予定している。William P. Trent他編The Cambridge History of American Literature(1917年),Robert E. Spiller他編Literary History of the United States (1949年),Emory Elliot編Columbia Literary History of the United States (1988年),Sacvan Bercovitch編The Cambridge History of American Literature (2005年)。この4つの文学史を並べて明らかな事は,トウェイン紹介の比重は時代を追うごとに徐々に低くなっているとはいえ,マーク・トウェインがほぼ1世紀に亘りアメリカ文学史における主要な地位を確保してきたことだ。このことは,切り口は異なるものの,いずれの文学史にもほぼ通底しているトウェイン文学への積極的評価や,Bercovitch編を除いた全ての文学史が独立章を設けてトウェインを紹介していることなどからも明らかである。
ただし,積極的評価という共通点があるとはいえ,こと評価の力点となると各文学史でかなり様相を異にする。旅行記か小説か?ミシシッピー川を舞台にした自伝的作品かヨーロッパを舞台にした歴史ロマンスか?20世紀に正典化された『ハック・フィン』の評価とそのエンディングの扱いは?晩年作品をペシミズムの表れととるか否か?本発表では,こういった各文学史におけるトウェイン評価の変遷の意味するところを,同時代の批評状況やトウェイン研究の進展,さらには文学史の編者や執筆者の批評スタンスに言及しつつ考えてみたい。
また,時間が許せば,主要文学史とアメリカで使用されている中学・高校の教科書を比較することで,文学史におけるトウェイン評価の相対化も試みたい。トウェインが自分の作品を誰もが飲む「水」にたとえたことは有名だが,権威筋の主要文学史の評価が必ずしも巷のトウェイン観を反映するものではないことも併せて確認できればと考えている。
最終的には,本シンポジウムのテーマである20世紀以降の作家や文学ジャンルとトウェインに関する各発表者の報告を同時代のトウェイン評価の流れと結びつけることで,トウェインの文学的遺産に関する一つの見取り図を提供したい。