鈴木 紀子 筑波大学(準研究員)
第二次世界大戦後,連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers)(以下GHQ/SCAPと略す)が行った日本民主化政策は多岐に渡る。教育基本法制定による教育制度改革,労働組合の結成奨励,財閥解体,女性参政権付与など,政策は広範囲に及ぶ。その中でも,GHQ/SCAPが民主化教育材料に外国文学を利用した事実は,思想教育と文学の政治学を考える上で極めて興味深い。GHQ/SCAPは自ら行った厳密な検閲体制の下,外国文学,とりわけアメリカ文学作品の翻訳・出版を推進し,一般大衆のアメリカ文学の読書奨励を積極的に行った。その目的は,アメリカの文学を通して,占領下日本にアメリカが理想とする民主主義理念を啓蒙する為であったとされている。
アメリカ文学作品と,民主主義理念の移植はどのように結び付いたのだろうか。この問題を考える上で注目に値するのは,GHQ/SCAPが選奨したアメリカ文学の作品群の一部を,一九世紀西部開拓時代の西部フロンティア,または開拓生活を描いた作品—ここでは「西部文学」と呼ぶ—が特徴的に占めていたという,あまり知られていない事実である。それはGHQ/SCAP選抜作品だけでなく,GHQ/SCAPの要請により本国から派遣されたアメリカ教育使節団が日本に「本の贈り物(Gift of Books)」として送った図書の選別にも言える。また図書のみならず,民主化教育材料として広く日本に紹介されたアメリカ国務省製作のアメリカ映画作品の中にも,特徴的に西部フロンティアを題材とした作品が含まれていた。
本論文は,これまで注目されてこなかった占領政策と西部フロンティア言説,翻訳図書の関係を浮き彫りにし,西部文学が表象する西部言説がGHQ/SCAPの民主主義理念移植の媒体として利用された事実を明らかにする。しかし,それは日本側が受動的にアメリカの理念を受容したことを意味しない。日本人独自の文化的視野は,本論文が明らかにするように,西部フロンティアを憧憬と羨望の対象としての理想的空間と言うよりも,日本人の共感を呼び起こす空間へと意味変容,土着化させていく。この事実を通して,日米間の民主主義の移植と受容の齟齬を明らかにしつつ,GHQ/SCAP戦後日本民主化の「成功」を疑問に付し,占領政策における思想教育と文学の政治学の複雑性を考察する。