川口 雅也 浜松学院大学
テレビ・シリーズStar Trek (1966- )の根幹をなすのは,原作者Gene Roddenberry(1921-91)による”infinite diversity in infinite combinations”という視点であり,そこから展開される世界は,様々な惑星の様々な種族が,種族間の紛争を乗り越え,平和に共存しようとする23・24世紀の未来の宇宙である。Star Trek は6つのテレビ・シリーズ,11本の劇場版映画からなる壮大な世界を形成しており,そのエピソード数は700を越えるのだが,その製作にあたって,原作者Roddenberryによる詳細な決まりがあり,どの作品も,その決まりから大きく外れることはなく,彼の没後も後継者たちによって,一貫してRoddenberryの世界観が反映されている。
このテレビ・シリーズが米国だけにとどまらず,世界各地で45年近くに渡って支持され続けているのも,その楽観的な未来像に起因していると考えられる。しかし,その楽観的な世界観と,sci-fiという特殊撮影等の表面的な部分のみが注目されやすい形態ゆえに,内容に触れる前から,Star Trek を単なる現実逃避とみなしてしまう人々が多いのも,また事実である。本発表では,そうした認識を改めるべく,“Believability is Everything.”というRoddenberryの創作姿勢に注意を払いながら,そのテレビ・シリーズを現代社会の暗喩として捉え,文学的に考察したい。米国の負の歴史に言及したエピソードをとりあげることで,それらが現実の問題から目をそむけず,実際の人間・社会を描こうとした文学的価値を有するものであることを示すことができればと考えている。
テクノロジーがもたらす明るい未来という世界観でStar Trek は創作されているが,“Journey’s End”(1994)では,Hopi族を思わせる先住民族の,テクノロジーとは無縁の生活様式が敬意をもって描かれており,そこには二項対立ではない思考法が読みとれる。“Jetrel”(1995)という広島を思わせる作品においては,原爆に類似した兵器を発明したOppenheimerを想起させる科学者と,その兵器によって故郷を破壊された者が,顔を付き合わせ,両者の言い分をぶつけ合う様子が描かれ,誰かを裁くという姿勢ではなく,両者の人生を丁寧に描写しようという意思が感じとれる。“Far Beyond the Stars”(1998)では,24世紀の未来の宇宙から,人種差別が根強く残る1950年代の過去の米国へ,アフリカ系アメリカ人の作中人物が時空移動し,過去と未来,現実と夢,それらの境界が曖昧な形で,King牧師のメッセージを彷彿させつつ,物語りが綴られていく。これらの作品を,Roddenberryの「無限の多様性」という視点,および,「信憑性」を重視する創作姿勢とともに,考察していきたい。