大勝 裕史 早稲田大学(院)
その影響が消滅したとは言えないとしても,ヴェトナム戦争は過ぎ去った出来事である。では現代に生きる人間は,歴史としてのヴェトナム戦争をいかにして知る,または記憶するのか。一つの視点として,歴史的な出来事に関する記憶は,体験者の個人的記憶によって共同体に伝達されるよりも,むしろ Marita Sturken が「記憶のテクノロジー」と呼ぶ映画,写真,記念碑などの文化的生産物によって構築されているだろう。すなわち,現在,文化的生産物は強い影響力を持つ歴史記述たりえている。
本発表の目的は,歴史記憶の構築という視点で,80年代中期からハリウッドで流行するヴェトナムの戦場を米兵の目線に接近して描写する「戦場リアリズム映画」(代表例は Platoon)を考察することにある。目下の論点は二つとなろう。第一に,なぜハリウッドはヴェトナム戦争から10年も経過した後で初めて,ヴェトナムの戦場を忠実に再現するような映画を生産するのか。第二に,「戦場リアリズム映画」は同時代の社会的,文化的な事象といかなる関連を持つのか。
ヴェトナム戦争映画を通時的に分析すると,時代ごとに固有の傾向が見出される。歴史としてのヴェトナム戦争が進行中もしくは終結する70年代後半まで,奇妙なことに,ハリウッドはヴェトナムの戦場を表象することを回避し,代わりにアメリカ国内で罪を犯す情緒不安定なヴェトナム帰還兵を描写してきた。しかし70年代後半からは,帰還兵が犠牲者として(典型例はDeer Hunter ),また逆に勇敢な戦士として(典型例はFirst Blood )表象され始める。これとほぼ同期して,ヴェトナムの戦場が帰還兵の想起内容として,主にフラッシュバックの手法で表象されるようになる。そして80年代中期以降は,物語の主軸となる時空じたいをヴェトナムの戦場に設定した「戦場リアリズム映画」が相当数登場してくる。このように80年代中期以降,ハリウッドは帰還兵の記憶をより直接的に表象することを志向したと言える。
文化的事象としては,1982年に Vietnam Veterans Memorial が建設され,1980年には,アメリカ精神医学会がDSM-III(『精神疾患の分類と診断の手引き』)を発行し,PTSD(心的外傷後ストレス障害)の概念を導入した。両者に共通するのは,帰還兵の保持する個人的記憶への関心だろう。というのも,記念碑は戦没者の魂,失われた記憶に思いを馳せる場所であり,PTSDは外傷的な記憶が帰還兵の身体に引き起こす症状であるのだから。