新田よしみ 福岡大学
Steven Millhauser(1943- )は,1996年に発表した長編作品Martin Dressler: The Tale of an American Dreamer でピューリッツアー賞を受賞した。長編作品に加え,短編作品の非常に多い作家である。彼の短編小説はオーストリアやイギリスなどアメリカ国外にもその舞台をおき,時代も現代だけではなく,過去実際に起こった出来事と関連付けている。これらの特徴は多くの短編作品に繰り返し見られるため,Millhauserの作品を解釈する際には歴史の影響力を読み解くことが重要である。
この点を踏まえ,本発表では “Eisenheim, the Illusionist”(1990)におけるステージ上の奇術師と観客との関係を,歴史的背景を考慮に入れながら分析する。この作品は他の短編とは異なり,作品の時代を説明する文章をあえて冒頭におき,読者に歴史認識を求めているので,舞台となっている19世紀オーストリアの政治体制がどのように維持されていたのか,この時代の芸術家はどのように認識されていたかを踏まえ,観客の中で唯一名前を与えられた人物の職業がなぜ「警察官」なのかを読み解く必要がある。
タイトルが示しているように,アイゼンハイムは幻影師として活躍し,ショーを見た観客に称賛される。このように,Millhauserの短編作品では,幻影師だけではなく,手品師,ナイフ投げ師,からくり人形師,画家などが,自身の最高の芸術を通して,観客の常識に疑問を投げかけるという構図が好んで用いられている。例えば,”The Barnum Museum” (1990)では,実在の人物P・T・バーナムが作った博物館を詳細に説明しつつ,観客の反応をうまく作品内に織り込んでいる。それに対し,”Kasper Hauser Speaks” (1998)では,19世紀ドイツに実在したカスパー・ハウザーが,芸術のことではなくて,他人との関わりが絶たれていた自身の過去を観客に語る。そして,この作品では,カスパーが観客に語っているシーンはあるが,観客の反応は言及されていない。
しかしながら,作品内に描写がないからといって,その背後の観客の存在は否定できない。芸術家と観客の対峙という構図は多くの作品に見られるが,Millhauserの関心は,他に類を見ない芸術家の活躍と,それに対する観客の賞賛といった一般的な関係にはない。芸術を見る者の心に作用する,暴力的とも言える力関係を描こうとしているのである。また,Pedro Ponceが”Eisenheim’s illusions unsettle the way audience understand magic, but they also unsettle how they understand the known world.”と指摘するように,アイゼンハイムの奇術は観客に既知の世界に対する不安感を引き起こす。それゆえ,ウール警部は「境界の侵犯」だと彼の奇術を危険視しているが,「境界」とは何か,また観客の心に直接作用する力に,なぜ警部のみ気づいたのかはあいまいである。
発表では,以上の点を明らかにしながら,ウール警部の存在によって交錯していく奇術師と観客の間にある力関係がその時代の政治形態維持に関わっていることを論証する。