1. 全国大会
  2. 第49回 全国大会
  3. <第1日> 10月9日(土)
  4. 第6室(11号館 6階 1164教室)
  5. 3.Sula におけるトラウマ的ヴィジョン

3.Sula におけるトラウマ的ヴィジョン

隠岐 尚子 大阪大学(院)

 

Toni Morrisonの作品群は,オーラリティがもつ重要性の観点から論じられることが多いが,Sula (1973)のタイトル・キャラクターは貪欲に物事を見ようとする。しかしこの作品で表されているのは,理解の基盤となるような視覚ではなく,むしろそれを切り崩そうとするようなトラウマ的ヴィジョンである。Sulaは,シェル・ショックを患う第一次世界大戦の帰還兵・Shadrackとともに,ボトム共同体の人々から「悪魔」と呼ばれるが,この二人を唯一結び付けているのは,衝撃的な他人の死を目撃するという経験である。

NelとSulaの長年に渡る友情物語において,結節点となるような役割を果たすShadrackについて,批評家たちは様々に論じてきた。しかし,Shadrackの原風景ともいえる戦場体験の描写そのものが,作品に与える重要性については,詳しく論じられることはなかった。エッセー“Unspeakable Things Unspoken”で明かされるように,最初に意図されていた書き出しは,Shadrackの眼前で展開される,仲間の兵士の生々しい死の光景である。Morrisonは,自分が追求するアフリカ系アメリカ文学の美学を説明する上で,後から書き足した共同体を描写するプロローグが,主流文化への迎合であったと振り返っており,このことからも,Shadrackの経験が物語冒頭で提示されることの重要性が考慮されるべきである。

Cathy Caruthは,神経生理学の見解を踏まえて,トラウマ記憶の細部にわたる正確さと,それが記憶される過程における通常のコード化の欠落との,奇妙な関連性を指摘している。頭を吹き飛ばされ,「そのショックを記憶する前に」走っていく兵士の身体の描写は,それを見たために全ての記憶を失う,Shadrackが被るトラウマを予兆している。またMorrisonの,導入部なしに読者を戦場体験へと引き込む当初の意図は,コード化すべき文脈が与えられる前に,読者が鮮烈な死の光景に遭遇することに反映されている。

しかし一方で,このようなトラウマ的ヴィジョンに対して,自分の母親が焼死する様子にさえ美的な興味を持って見つめる,Sulaの窃視的反応がある。彼女がそこに見出すのは,「母の死」という意味ではなく,「炎に包まれてダンスする人」である。Susan Sontagは,写真を通して見ることは美的感覚と感情的な距離を養うことであると述べているが,Sulaはまさにカメラを覗くように,被写体にフレームをつけることで,物事を文脈から切り離して見ている。このようにトラウマ的ヴィジョンに対する反応は,ShadrackとSulaを両極として表されており,両者は表裏一体である。

Sontagが,「物語は私たちに理解させるが,写真は取りつく(haunt)」という時,言葉によらない写真のイメージが持つ衝撃力を言い表しているが,Morrisonはこの読者に取りつくようなイメージを,喚起力を持つ言葉によって構築している。また,しばしば指摘される作品の円環的構造は,読者に再読を促しており,トラウマ記憶の反復性を連想させる。このようなSulaの物語形式は,切り取られたイメージが説明不可能なものへと陥る前で,言葉によって繋ぎ止め,理解することとの接点を模索するものである。