森岡 隆 和歌山工業高等専門学校
William Faulknerの描く貧乏白人の多くは,藤や糸杉が茂るフレンチマンズ・ベンドのような,丘の麓の水はけの悪い地域に住んでいる。その一方で彼は,松が茂る丘の高台で自給自足の生活をする貧乏白人の姿も描いており,本研究ではこの松林の丘,とくにヨクナパトーファ郡(以下「ヨクナパトーファ」)内の松林の丘に住む貧乏白人について論考する。
ジェファソン郊外のマッカラム農園やその周辺,さらに東部の地域,第4区(Beat Four)に暮らす貧乏白人を取り上げ,松が繁茂するアパラチア山脈南部地域(以下「アパラチア」)に住む人々と,ヨクナパトーファの松林の丘に住む貧乏白人との,間接的ではあるものの,密接な関連性を指摘する。
一部の研究者の間では今なお,Faulknerの描く貧乏白人と,アパラチアの住人たちとが混同されて論じられている。これは貧乏白人のいわゆる「ヒルビリー・イメージ」(hillbilly stereotypes)が,「アパラチアのイメージ」(Appalachian stereotypes)と重なることに起因すると推測される。その誤解によるものか,我が国の『フォークナー全集』の翻訳も,最終期に刊行されたもの以外は,原文の “hill” は「山」と訳されている。けれどもブラウンが指摘するようにミシシッピ州に山はなく,Thomas Sutpenのようなアパラチア出身の者を除き,ヨクナパトーファの貧乏白人はアパラチアに代表される山の人々と直接結びつくものではない。
「ヒルビリー・イメージ」とは,ニュー・イングランドの開拓民,アパラチアやオザークなどの山岳地の人々,丘に住む貧乏白人などの要素が混じりあったもので,現在ではおおむね否定的なニュアンスを持つ。他方「アパラチアのイメージ」は,アパラチアにはヴィクトリア朝時代の手工業的な生活と開拓民の生活の両者が残存するとする,やや肯定的なものだ。本研究では,これらのイメージを手がかりに,上述の誤解を出発点として,傷心のYoung Bayardや州徴兵調査官Pearson,冷静沈着なGavinと成長途上のCharles [Chick]が物語の中でそれぞれ感じた,ヨクナパトーファの松林の丘に住む貧乏白人たちへの強い思いを検証する。そのうえで,テキストに表出する語り手の,「白人の他者」(white Others)についての信念を指摘し,それが「ヒルビリー・イメージ」や「アパラチアのイメージ」によっていかに変容するかを考察する。そして最後に,松が繁茂するアパラチアに住む人々と,ヨクナパトーファの松林の丘に住む貧乏白人との,間接的ではあるものの,密接な関連性を示し,本研究の今後の方向性を提案する。
なお本研究で扱う主な作品は,Flags in the Dust,“The Tall Men”,Intruder in the Dust,Knight’s Gambit である。