土屋 陽子 名古屋大学(院)
Theodore Dreiserの死後、1946年に出版されたThe Bulwarkは、敬虔なクエーカー教徒である主人公Solon Barnesの生涯を中心に、その一家の生活を描いた作品である。本作品は、Solonを厳格な宗教者としながらも、Jennie Gerhardt (1911)やAn American Tragedy (1925)の父親像とは異なり、資本主義社会の完全な敗者として描いていないという点、また、人生の悲劇を経験したSolonが自然の中に絶対的な神の存在を再認識するという結末から、自然主義作家Dreiserらしからぬ宗教的な作品であると言われている。また、Lawrence Hussmanも指摘するように、晩年において保守的になったDreiserの人生観の変化を示した作品であると捉えられることが多い。
しかし、The Bulwarkにおいても作品の背景となるのは、他の作品と同様、資本主義社会であり、Dreiserが繰り返し描いてきた「理想主義」対「物質主義」という対立が大きなテーマとなっている。実際、Solonの結婚式を描く作品の「序」には、時代と共に変化した若者たちが「クエーカー主義を圧倒した近代精神に傾倒して、心の中の理想主義をほとんど完全に放棄してしまっていた」とあり、古くからのクエーカーの信仰と時代の流れが相容れない関係にあることが示されている。
本発表では、その対立がどのように描かれ、Dreiserがそれをどう捉えているかを考察する。まず、その対立が、華やかな世界に影響を受ける子供達と、昔ながらの理想主義をもってそれを妨げようとするSolonとの隔たりに示されていることに注目する。そして、理想主義に基づくBarnes家の精神が、物質主義に基づく時代の精神と対立していることをみる。
次に、その対立に介入し、「別の世界への扉」となって時代の精神を子供達に伝える役割を果たしている二人の叔母、Aunt HesterとRhodaの存在に注目する。特にHester叔母さんは、子供達がBarnes家の精神から離れるきっかけを作る存在として重要な役割を果たしている。生涯独身で、女性でありながら男性に意見ができるほどの権力と財産を持つHester叔母さんの描写は、Dreiserがそれまで描いてきたような、性的役割を前提にした「新しい女性」像に比べると異色である。「新しい女性」像は本作品においてもSolonの娘やRhodaに示されているが、Hester叔母さんの示す女性像は、「新しい女性」ではなく、彼女達が登場するきっかけを作った世紀転換期の女性活動家の姿を思わせる。
Dreiserは、そのようなイメージを持つHester叔母さんを時代の精神と結びつけ、作品の最後までSolonに付きまとわせている。Barnes家の精神と時代の精神の対立におけるHester叔母さんの役割を考察することで、晩年においても社会とその変化をありのままに描こうとしたDreiserの変わらぬ態度を明らかにし、The Bulwarkを保守的な作品とする解釈とは異なる読みを提示したい。